調布の戦争遺跡

調布飛行場

概要

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現在の調布飛行場

 調布飛行場は1941年(昭和16)に完成した陸軍の飛行場です。建設のため農地を強制的に買収し、寺院を移住させて造られました。
 その広さは調布市・三鷹市・府中市(多磨村)にまたがる総面積53万坪にも及ぶものでした。配属された部隊の飛行244戦隊には、最新鋭の三式戦闘機=飛燕(ひえん)が配備され、皇居を守る任務を担っていました。

【注】=印の場所は許可を得て敷地内に入るか、外から見てください。
1.調布飛行場の門柱
2.掩体壕(えんたいごう)【注】
3.誘導路(コミュー二ティ通り)
4.秘匿(ひとく)地域
5.高射砲台座跡【注】
6.排水溝(側溝) 
7.排水門
8.大格納庫
9.給水塔
10.和多屋旅館
11.仁翁閣:多磨霊園【注】
12.標識石柱【注】
13.多磨霊園の機銃掃射痕
14.赤とんぼの木製プロペラ
15.地中から戦時中のプロペラが出現


1.<調布飛行場の門柱(三鷹市/大沢)>

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大谷石製の門柱

「東京調布飛行場」と刻まれた一対の門柱です。写真は向かって右側のもので、材質は大谷石で出来ています。以前は上部に丸形の電灯が付いていました。
<参考資料>
☆ 『戦争の記憶を武蔵野にたずねて』(ぶんしん出版)【蔵書検索】
☆ 『しらべる戦争遺跡の事典』(柏書房)【蔵書検索】
★ 『調布市史 (下)』(調布市)【蔵書検索】
▼『フォトガイド東京の戦争と平和を歩く』(平和文化)【蔵書検索】
▼『写真と地図で読む 知られざる軍都多摩・武蔵野』(洋泉社)【蔵書検索】

2.掩体壕(えんたいごう)

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武蔵野の森公園 保存された大沢1号

 掩体壕とは、空襲から飛行機を隠す施設です。土嚢(どのう)を積んだ掩体壕もありますが、今回はコンクリート製のものを取り上げました。
 調布の掩体壕は、敗戦前年の1944年(昭和19)頃に動員された学生や住民を労働力によって30基造られました。いずれの掩体壕も小型機用のもので、現在4基を残すのみとなりました。

<掩体壕 参考資料>
☆ 『軍事史学 20巻』(錦正社)【所蔵なし】
☆ 『調布飛行場にも掩体壕があった』(みんな新聞社)【蔵書検索】
★ 『戦争の記憶を武蔵野にたずねて』(ぶんしん出版) 【蔵書検索】
★ 『しらべる戦争遺跡の事典 続』(柏書房) 【蔵書検索】
★ 『僕の調布にも空襲があった』(みんな新聞社) 【蔵書検索】
★ 『調布の民話集』(調布市) 【蔵書検索】
▼ 『調布・狛江の100年』(郷土出版社) 【蔵書検索】
★ 『写真と地図で読む 知られざる軍都多摩・武蔵野』(洋泉社)【蔵書検索】
▼ 『陸軍飛行第244戦隊史』(そうぶん社) 【蔵書検索】
▼ 『東京人 188号』 【蔵書検索】
▼ 『フォトガイド東京の戦争と平和を歩く』(平和文化) 【蔵書検索】
▼ 『調布史談会誌 1997年』(調布史談会)  【蔵書検索】
▼『いま語り伝えたいこと』(三鷹市) 【蔵書検索】
▼ 『ガイドブック 東京の戦争・平和』(東京平和委員会) 【蔵書検索】
▼ 『太平洋戦争と調布』(調布史談会) 【蔵書検索】
▽ 『軍資料』(防衛研究所図書館史料館) → 防衛庁防衛研究所リンク http://www.nids.go.jp/

■  ■ 白糸台(府中市/白糸台3‐17)【注】許可を得て敷地内に入るか、外から見てください。

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甲州街道が是政線を越える陸橋手前にある掩体壕です。全景を上から見ることが出来ます。同じ3丁目の畑に、もう1基ありましたが1999年(平成11)に壊されてマンションが建てられました。

■  ■ 多磨製作所(府中市/朝日町1-2)【注】許可を得て敷地内に入るか、外から見てください。

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白糸台小学校近くにある掩体壕です。後方部分を塞いで半地下の工場として現在も使用されています。入口の天井に鉄骨が露出しており、当時の工法がうかがえます。

■  ■ 武蔵野の森公園南(三鷹市大沢6-11)(大沢1号)

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同公園内にある掩体壕です。
 市民の努力で保存が決まり、今年整備されました。ただ壕内は見られませんが、横に「飛燕」のブロンズと説明版があります。

■  ■ 武蔵野の森公園北(三鷹市大沢6-11)(大沢2号)

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「都立武蔵野の森公園」内にある掩体壕の1基です。東京都が計画している2号道路の計画上にあります。状態は悪く、壕内の鉄骨ははぎ取られていますが、壕内の様子が外からのぞけます。

3.誘導路

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誘導路(『調布飛行場にも掩体壕があった』p29)より

 空襲の時、飛行場から飛行機を隠すために移動する道を誘導路(1)~(5)といいます。砂利を約8m幅に敷いたもので、その上に板を乗せたものもありました。現在のコミニュティ通りも、かつての軍用道路として造られた道でした。その一直線の道の左右には何基もの掩体壕がありました。
 
<参考資料>
☆ 『調布飛行場にも掩体壕があった』(みんな新聞社)【蔵書検索】
☆ 『陸軍飛行第244戦隊史』(そうぶん社)【蔵書検索】
★ 『東京路上細見記』(けやき出版)【蔵書検索】
▼ 『いま語り伝えたいこと』(三鷹市)【蔵書検索】
▼ 『地形図 2.5万分の1』(国土地理院 昭和22年発行/吉祥寺・溝の口)


4.<秘匿(ひとく)地域>

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秘匿地域(『調布飛行場にも掩体壕があった』p16)より

 掩体壕の数が少ないために、入れない飛行機は、樹木の茂る場所に人力で引っ張って隠しました。その場所を秘匿地域、正式には分散秘匿地域といいます、飛行場近くの多磨霊園・八幡神社・浅間山・石川農場などがありました。

<参考資料>
☆ 『調布飛行場にも掩体壕があった』(みんな新聞社)【蔵書検索】
★ 『多磨霊園』(東京都公園協会)【蔵書検索】
★ 『陸軍飛行第244戦隊史』(そうぶん社)【蔵書検索】
▼ 『多摩地形図』(之潮)【蔵書検索】
▼ 『いま語り伝えたいこと』(三鷹市)【蔵書検索】

5.<高射砲台座跡(三鷹市/大沢4-8)>【注】許可を得て敷地内に入るか、外から見てください。

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椎の実こどもの家にある台座跡

 調布飛行場を見下ろすように、国分寺崖線上に配置された高射砲陣地。通称1903部隊(後の112連隊)といわれる高射砲第二連隊第四中隊が配属されました。
 当時としては最新鋭の電波探知機と連動した6門の高射砲が置かれ、現在も砲台座跡を4門見ることが出来ます。

<参考資料>
☆『調布飛行場にも掩体壕があった』(みんな新聞社)【蔵書検索】
☆ 『いま語り伝えたいこと』(三鷹市)【蔵書検索】 
☆ 『記念碑の語らい』(社会法人 楽山会)【蔵書検索】
☆ 『戦争の記憶を武蔵野にたずねて』(ぶんしん出版)【蔵書検索】
★ 『太平洋戦争と調布』(調布史談会)【蔵書検索】
★ 『写真と地図で読む 知られざる軍都多摩・武蔵野』(洋泉社)【蔵書検索】
▼ 『東京路上細見記』(けやき出版)【蔵書検索】

6.<排水溝(側溝)>

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排水溝

 調布飛行場は、地形・風向きなど綿密に調査された上での建設でした。排水も飛行場機能の重要な要素でした。滑走路は少し斜めに造られ、雨水は周りの排水溝に集められました。排水溝はU字型に掘られ、飛行場を囲むようにあります。両岸は厚さ約30cm、コンクリートの表面に玉石が一面に埋められています。
 玉石を埋める工法は上空から発見しにくいためとも言われています。

<参考資料>
★ 『調布市史 (下)』【蔵書検索】
★ 『戦争の記憶を武蔵野にたずねて』(ぶんしん出版)【蔵書検索】
▼ 『ゼンリンの住宅地図 調布市』(ゼンリン)【蔵書検索】

7.<排水門>

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当時もままの排水門

 排水溝に集められた雨水は門柱近くで野川に放水します。一見ダムのように見えますが、当時のままの排水門です。

<参考資料>
☆ 『戦争の記憶を武蔵野にたずねて』(ぶんしん出版)【蔵書検索】
▼ 『野川散策絵図』(ベースボール・マガジン社)【蔵書検索】
▼ 『ゼンリンの住宅地図 調布市』(ゼンリン)【蔵書検索】

8.<大格納庫(三鷹市/大沢)>

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姿を消した大格納庫

 戦時中は飛行機の整備場として使用していました。現在のグランド近くにありましたが、今はその姿を見ることはできません。

<参考資料>
★ 『僕の調布にも空襲があった』(みんな新聞社)【蔵書検索】
▼ 『調布の文化財 第5号』【蔵書検索】
▼ 『太平洋戦争と調布』(調布史談会)【蔵書検索】

9.<給水塔>

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給水塔【写真提供 櫻井隆氏】

 今はありませんが、現在の管制塔近く(大沢第二グラウド)にあった施設です。大格納庫と並んで飛行場の象徴的施設でした。

<参考書籍>
☆『陸軍飛行第244戦隊史』(そうぶん社)【蔵書検索】
★ 『東京路上細見記』(けやき出版)【蔵書検索】
▼ 『フォトガイド東京の戦争と平和を歩く』(平和文化)【蔵書検索】
▼ 『ガイドブック東京の戦争・平和』(東京平和委員会)【蔵書検索】

10.<和多屋旅館(布田1-22)>

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和多屋旅館(現在 パーク・ノヴァ調布)

 甲州街道に面した古くからの旅館です。飛行場勤務の兵士が宿泊していましたが、現在はパークノヴァ調布になっています。

<参考書籍>
☆ 『僕の調布にも空襲があった』(みんな新聞社)【蔵書検索】
▼ 『ガイドブック東京の戦争・平和』(東京平和委員会)【蔵書検索】
▼ 『調布こぼれ話 1』【蔵書検索】
▼ 『ゼンリンの住宅地図 調布市』(1990年以前の版) 【蔵書検索あり】

11.<仁翁閣:多磨霊園>

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仁翁閣(写真提供 蓮田宣夫氏)

 旧高橋是清大蔵大臣邸の建物の一部を多磨霊園に移したものです。
 戦時中は、ここに調布飛行場部隊の出張所が置かれていました。現在は江戸東京たてもの園(小金井市)に移されています。

<参考資料>
☆『多磨霊園』(東京都公園協会)【蔵書検索】

12.<標識石柱>

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初公開 調布飛行場の標石柱

 今回の調査で発見された標石柱です。四角柱の御影石で出来ており、表面に「陸軍」の文字が掘られています。敗戦後、多磨村の村民が、公民館の土台石として飛行場から持ってきたもの。
 現在、二本の石柱が寄贈され、調布市郷土博物館の玄関左側に置かれています。持ってきた飛行場施設の正確な場所は不明です。

14.多磨霊園の機銃掃射痕

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撮影/2007年10月25日

 多磨霊園の3、4地区に調布飛行場の「飛燕」が隠されていました。そのためでしょうか、米軍艦載機の機銃掃射が何度かあったとの霊園事務職員からの証言があります。正門からの中央通りにある噴水塔の土台に、今も機銃掃射の痕を幾つか見ることができます。

(参考資料)
★『続 僕の調布にも空襲があった』P243(みんな新聞社)【蔵書検索】
▼『多磨霊園』口絵 P66(東京都公園協会)【蔵書検索】
▼『多磨町の歴史』P110(東京都府中市多磨町会)【蔵書検索】


14.赤とんぼの木製プロペラ

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撮影/2007年

 「調布飛行場の掩体壕を保存する会」の調査によって、今年、府中市白糸台の土蔵から発見された木製プロペラです。どうやら1935年(昭和10)頃から東京飛行機調布工場で造られていた複葉機の九五式一型練習機のものと思われます。機体の姿から赤とんぼの愛称があります。10月20日に公開すると、調布飛行場でこの機種で訓練をしたとの証言ありました。(提供=上野勝也氏)

(参考資料)
★『朝日新聞』2007年10月18日号 むさしの版
★『東京新聞』2007年10月13日号 武蔵野版
▼『日本航空機大図鑑 中巻』P60(図書刊行会)【蔵書検索】
▼『世界の傑作機』No.73 陸軍九五式練習機(文林堂)
▼『決定版 日本軍用写真総集』P188((株)光人社)


15.地中から戦時中のプロペラが出現

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 2009年11月24日、旧調布飛行場敷地内の大沢グランドから、プロペラ3機分等が発掘されました。プロペラは3式「飛燕」2機分と5式戦闘機のスピナーと1機分です。敗戦後、殆んどがスクラップにされた中、どうして地中に埋められていたのか、いろいろ想像ができませんか。

(参考資料)
▼『朝日新聞 むさしの版』 2009年12月3日付

基本情報

問い合わせ: 調布市立中央図書館 地域情報化担当
042-441-6181