軍事施設

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神代緑地の計画書(『東京公園史話』)より

 調布地域には、調布飛行場を中心に軍事施設が幾つもありました。
 現在、施設はそのまま、別の目的で使われているものもあります。

<軍事施設リスト>

【注】=印の場所は許可を得て敷地内に入るか、外から見て下さい。

1.弾薬庫【注】

2.京王閣【注】

3.日本郵船飛田給練成所【注】

4.神代植物公園【注】

5.高射砲陣地【注】

6.照空隊陣地

7.陸軍中央無線電信調布受信所【注】

8.陸軍通信部隊【注】

9.調布飛行場兵舎【注】

10.外務省情報局弘報室分室【注】

11.土蔵の軍倉庫【注】

12.ベールを脱いだ電気試験所神代分室【注】

13.案内板を支える台座石NEW!


1.<弾薬庫(若葉町1丁目)>【注】道路からは見えません。訪問はご遠慮ください。

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下の部分が弾薬庫

 高射砲第三中隊の弾薬庫です。現在は弾薬庫の上に倉庫が建てられています。コンクリート製で防水用か迷彩色のためなのか、外壁にはコールタール?が塗られています。以前は近くにもう一つありました。


<参考資料>
▼『太平洋戦争と調布』(調布史談会)【蔵書検索あり】
▼『せんがわ21 第18号』【蔵書検索あり】

2.<京王閣(多摩川4)>

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京王閣

 かつて展望台に防空監視哨が置かれ、空の警戒を行っていました。
 その後、防空監視哨は矢田部公園(元保健所)近くに移転されましたが、京王閣はそのまま、軍の施設として使われていました。

<参考資料>
★『調布今昔写真集』(調布市)【蔵書検索あり】
▼『太平洋戦争と調布』(調布史談会)【蔵書検索あり】

3.<日本郵船飛田給練成所(飛田給1-54)>【注】外から見て下さい。

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日本郵船飛田給錬成所(現在 同研修所)

 1942年(昭和17)日本郵船の練成所として建てられた施設です。
 翌年には陸軍が買収しようとしましたが拒否されたため、陸軍の宿舎として接収されました。
 敗戦後は米軍の将校クラブとして使用されました。

<参考資料>
▼『陸軍飛行第244戦隊史』(そうぶん社)【蔵書検索あり】
▼『太平洋戦争と調布』(調布史談会)
【蔵書検索あり】

4.<神代植物公園(深大寺元町5)>

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現在の神代植物公園

 軍の極秘計画として、1940年(昭和15)東京府を南北に挟むように6ヶ所「大緑地帯」が造られました。
 目的は東京空襲に備えての計画で、平時は一般市民の運動休養のための公園ですが、戦時には高射砲・聴音機・気球などの陣地に使用する公園だったのです。神代植物公園もその一つでした。

<参考資料>
☆『僕の調布にも空襲があった』(みんな新聞社)【蔵書検索あり】
☆『神代植物公園』(東京公園文庫)【蔵書検索あり】
★『僕の調布にも空襲があった 続』(みんな新聞社)【蔵書検索あり】
▼『多摩地形図』(之潮)【蔵書検索あり】
▼『東京公園史話』(東京都公園協会)【蔵書検索あり】

5.<高射砲陣地(深大寺元町4・若葉町1)>(写真なし)

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同形の陸軍七糎(センチ)高射砲

 三鷹市大沢の高射砲台座跡以外にも、調布地域には2ヶ所に高射砲陣地が配備されていました。

<参考資料>
☆『僕の調布にも空襲があった』(みんな新聞社)【蔵書検索あり】
☆『戦争の記憶を武蔵野にたずねて』(ぶんしん出版)【蔵書検索あり】

6.<照空隊陣地(深大寺北町1)>

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神代植物公園 旧 緑の相談室

 調布周辺には第一から第五分隊の照空隊陣地が配属されていました。
 その内、第四分隊は、中隊本部を兼ねて神代植物公園の元「緑の相談所」付近にありました。

<参考資料>
★『僕の調布にも空襲があった』(みんな新聞社)【蔵書検索あり】

7.<陸軍中央無線電信調布受信所(保恵学園/富士見町3)>【注】外から見て下さい。

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陸軍中央無線電信調布受信所(現在 保恵学園)

 保恵学園にあった陸軍通信施設の一つです。当時は何本ものアンテナの柱が並べて、外国の電波を傍受していました。この施設は、調布飛行場とは関係なく、別名、下石原通信所ともいわれ、他には東久留米・下高井戸・新潟・千葉にもありました。

<参考資料>
▼『太平洋戦争と調布』(調布史談会)【蔵書検索あり】
▼『調布市土地宝典』(調布市)【蔵書検索あり】
▼『創立五十周年記念誌』(調布市立調布中学校)【蔵書検索あり】

8.<陸軍通信部隊(佐須町5周辺)>【注】外から見て下さい。 

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陸軍通信部隊(現在 神代中学校)

 現在の神代中学校・上ノ原小学校・晃華学園・明大グランド周辺あった通信教育施設です。正式には、燕19185部隊通信教育隊で、敗戦後兵舎を利用した幾つかの学校になりました。

<参考資料>
★『調布市教育史』(調布市)【蔵書検索あり】
▼『上ノ原 創立四十周年記念誌』(調布市立上ノ原小学校)【蔵書検索あり】
▼『調布にも引揚者寮と戦災者寮があった』(みんな新聞社)【蔵書検索あり】
▼『太平洋戦争と調布』(調布史談会)【蔵書検索あり】
▼『神代 開校30周年記念誌』(神代中学校)【蔵書検索あり】

9.<調布飛行場兵舎(富士見町4-17)>【注】外から見て下さい。

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調布飛行場兵舎(現在 調布中学校)

 調布飛行場の兵舎でした。敗戦後残った兵舎を利用して、調布中学校が建てられました。
 隣りの明大グランドから掩体壕や退避壕が発掘されています。

<参考資料>
★『郷土の七十年』(啓明出版)【蔵書検索あり】
▼『調布市教育史』(調布市)【蔵書検索あり】

10.<外務省情報局弘報室分室(国領7-11)>【注】外から見て下さい。 

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外務省情報局弘報室分室(現在 東京YWCA国領センター)

 戦時中、東京YWCA国領センターには、外務省情報局弘報室分室が置かれました。多摩川向きにアンテナが張られ、海外の電波をキャッチしていました。
 1945年(昭和20)7月26日にポツダム宣言を傍受した施設でもあります。

<参考資料>
☆ 『戦後秘史 2』(講談社)p.137【蔵書検索あり】
▼『図説 調布の歴史』(調布市)【蔵書検索あり】
▼『東京YWCA国領センター10年のあゆみ』(東京YWCA国領センター)【蔵書検索あり】

11.<土蔵の軍倉庫(深大寺東町)>

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軍が使用していた土蔵

 戦時中は、民家の幾つかの土蔵も軍隊の倉庫として使われていました。市内のこの土蔵も軍隊の資材を保管していた蔵の一つです。

<参考資料>
☆『調布の蔵』(みんな新聞社)【蔵書検索あり】
▼『風雪』(荻本貞臣)【蔵書検索あり】

12.<ベールを脱いだ電気試験所神代分室>

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撮影2008/02/02

 アジア・太平洋戦争が起こった1941年(昭和16)、神代村入間(現在の入間1丁目)に電気試験所神代分室が設立されました。戦時中は若き研究家が、極秘で真空管や爆弾の信管等の研究がされていた場所です。現在はNTT東日本研修センター)となり、研究所の後影はありません。
☆『日本のエレクトロニクスの源流(上)』(工業調査会)【蔵書検索あり】

13.<案内板を支える台座石>

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 若葉町1丁目にある住宅案内版です。台座は付近にあった旧高射砲台座の石を再利用したと言われます。
戦時中には、第112連隊第3大隊第14中隊の高射砲部隊が配属され、6門の高射砲が配備されていました。

基本情報

問い合わせ: 調布市立中央図書館 地域情報化担当
042-441-6181