多摩川

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多摩川とその川沿いの風景

二ヶ領上河原堰 1966年

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撮影当時の二ヶ領上河原堰です。この堰が最初に作られたのは江戸時代で、多摩川の治水と付近の新田開発が目的でした。若い時にはこの付近でも魚を捕っていました。

(調布市在住 榎本勉氏 提供)

菅(すげ)の渡し 1972年1月1日

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江戸時代に多摩川には多くの渡し場がありましたが、明治以降は橋が増え、渡し場は順次廃止されてきました。
菅の渡しは京王相模原線の鉄橋の付近にあり、多摩川で最後まで残っていた渡しです。この渡しは、1971年に京王相模原線が開通した後の1973年に廃止されました。菅の渡しは多摩川を渡る市民の足として大いに利用されていました。特に京王閣競輪開催日には川崎側からの利用者に重宝されていました。
写真は元旦の日の出に合わせて撮りました。舫い杭(もやいぐい)にしめ飾りがつけられていました。

(調布市在住 榎本勉氏 提供)


多摩川の流木 1982年

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昔は台風で多摩川が増水した時、上流から材木が流れて来て、染地の五本松付近の河原に打ち上げられることがありました。写真の流木は、長年砂に埋もれていたものが台風によって地上に現れたのではないかと思います。こんな大木が流れてくることに驚きました。右先の部分は誰かが切って持って行ったようです。

(調布市在住 榎本勉氏 提供)

蛇籠(じゃかご)による護岸 1983年

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上石原3丁目の多摩川堤通りの護岸に蛇籠が使用されていました。
蛇籠とは鉄線で編んだ籠の中に石や岩などを詰め込み、河川の護岸に使われるものです。蛇籠は昔から治水工事に使用されており、江戸時代には河川改修や災害復旧工事に大量に利用されていました。なお、昔の蛇籠は竹材で編まれていました。

(調布市在住 榎本勉氏 提供)

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蛇籠の傍にはテトラポットもありました。
左手に見えるのは多摩川原橋です。対岸の右の方にはよみうりランドの施設も見えます。

(調布市在住 榎本勉氏 提供)

カワウの集団飛来(二ヵ領上河原堰付近)

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二ヵ領上河原堰付近にはカワウの集団がよく飛来していました。この写真は2005年12月に撮影したものです。

(調布市在住 榎本勉氏 提供)

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上の写真と同じ日に撮影した写真です。
川の向こう側で泳ぐのがカワウです。

(調布市在住 榎本勉氏 提供)

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朝方の多摩川上空を編隊飛行するカワウです。1993年11月に撮影したものです。

(調布市在住 榎本勉氏 提供)

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カワウが二ヵ領上河原堰の上空にあった高圧電線にとまり、羽を乾かし、休息しているところもよく見かけました。この写真は2015年9月に撮影したものです。
この高圧電線は2016年頃に撤去されました。それと時期を同じくして、この付近でカワウの集団を見かけなくなりました。高圧電線が撤去されたことがその原因の一つではないかと思われます。

(調布市在住 榎本勉氏 提供)

基本情報

問い合せ: 調布市立中央図書館 地域情報化担当
042-441-6181
作成年月 2019年3月
更新年月 2019年12月
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