そもそも、そばってなぁに??
秋の深大寺界隈
全部で、474件該当しました。 ところが、よく見ると、“アイソパラメトリック”だとか、“いつも、そばにいるよ”だとか、 “おれ、あいつとあそばない”だとか、まるで今回の主題に無関係な本も抽出されました。
そこで、目チェックで、取捨選択した結果、それでも、256件残りました。
さあ、たいへん、ここから挑戦が始まりました。
そこで、まず、大辞林辞書でひいてみました。
大辞林
そば1 【〈蕎麦〉】
[1] タデ科の一年生作物。中央アジア原産で、日本へは古く渡来。茎は赤みを帯び、高さ約 60cmで、三角心形の葉を互生する。花は白色小形で、初秋、葉腋(ようえき)・茎頂に多数総状につく。実は三角卵形で黒熟し、種子をひいて蕎麦粉とする。古名ソバムギ。[季]秋。
[2] 蕎麦粉を水でこねて薄くのばし、細長く切った食品。ゆでてつけ汁につけたり、または汁をかけたりして食べる。そば切り。
さて、楽しい“そばの旅”にでましょう。
注) 用語:ここでは、特別な断りがない限り、植物としてのそばを“ソバ”、料理や食物としてのそばを“そば又は蕎麦”と表現します。
そばの歴史-世界
世界:“中国を発祥とするソバ栽培は世界各地へ伝播した。生産量世界一はロシアであり、日本への輸出量が最大なのは中国である。(略) 世界各地のソバの食べ方はロシアのカーシャに代表されるお粥、ヒマラヤのロティ、フランスのクレープなどのお焼き、ネパールのデュロ、ユーゴスラビアのポレンチなどのそばがきが一般的である。”(『蕎麦無限』太野祺郎著 展望社、2004年)
『そば学大全』俣野敏子著(平凡社、2002年)の第三章に“世界のソバ食文化紀行”があり、朝鮮半島、中国大陸、ブータン、ネパールなどのヒマラヤの国々、さらには、ロシア、ウクライナからヨーロッパまで詳しく記述されています。
<参考資料>
『そば学大全』(東京 平凡社)
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そばの歴史-日本
深大寺蕎麦の図(江戸名所図会)調布市郷土博物館 解説シートNo.9 より
“遡れば、日本にはすでに縄文時代からソバがあった。(略) しかし、それらが栽培されていたかとなると必ずしもはっきりとはいえない。”、と農学博士らしい厳密な表現をしています。
いくつかの関連図書によると、文字としての登場は、養老6年(722年)に書かれた続日本記(しょくにほんぎ)は、元正天皇の詔として、オオムギ、コムギなどとともにソバを救荒作物として植えるように勧めているのが最初のようです。
以降、奈良、平安、鎌倉、室町時代あたりまでは、ぞうすい、そばがき、もちのような形で食べられていました。
そばという料理ができたのは、450年前の室町時代以降のことといわれています。
現在、われわれが食べているそばは、江戸初期にはじまったと言われる「そば切り」(練ったそば粉を細長く切った、現在のそばの形)で、発祥地は、甲斐(山梨県)とも信濃(長野県)ともいわれています。
日本-北から南から
そば屋のおやじ、そば打ち名人の著者がライフワークとして全国のそばを訪ね歩き、豊富な知識と愛情を持って記したのが『そばの歴史を旅する』(鈴木啓之著 柴田書店 2005年)です。北は北海道道南から美作路(岡山)までまとめています。
また、『郷土のそばの技術』(旭屋出版MOOK 2003年)では、その地のそばの特徴に加え、それぞれの打ち方まで載せています。以下、おもなものを列記します。
・東京 江戸そば(十割そば、変わりそば)
・青森 津軽そば(大豆を加える)
・山形 板そば(秋田杉の器、くるみ入り)
・福島 宮古そば、裁ちそば
・新潟 へぎそば(つなぎに布海苔)
・京都 にしんそば
・島根 出雲 割子そば
などなど
<参考資料>
『そばの歴史を旅する』(東京 柴田書店)
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深大寺そば今昔
“深大寺そばを味わう集い”風景
さらに、幕末に編纂された『甲州道中宿村大概帳』からの引用として、「深大寺村にて蕎麦を作る、是を深大寺蕎麦として此処の名物也」、さらに国領・下布田・上布田・下石原・上石原の布田五宿もまた「五穀の外、時々野菜ならびに蕎麦を作る」ところと紹介しています。
本書の中で、元NHKアナウンサー山川静夫氏が、スタジオ収録時の思い出として語っています。 そば打ちの秘密は?、とたずねたら、 「さあ、別に変ったことは何一つしておりませんが、素直に無心で打てば、皆様に喜んでいただけるようなそばが自然に出来上がるのです」
著者はまた、「そばのまつわる史跡や習俗を訪ねて全国各地を歩きまわりましたが、地方に行っても、その土地に伝えられてきたそばの食べ方がなくなってきて、都会風になっています。 寂しいですね。(略) ですから、全国各地のそばの食べ方を訪ねて、記録に残しておきたいですね。 私は、郷土の味をもっと大切にしてほしいと思うのですが。」と語っている。そばに限らず、私たちはあまりに安易に、伝統文化を捨ててきたのでは、と反省させられます。
<参考資料>
「蕎麦全書」伝-現代語訳-東京 ハート出版
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江戸とそば
大江戸華まつりのパレード
出版社:農山漁村文化協会 2004年 編者:服部隆
絵:上田みゆき)
なにげなく言われている“江戸とそば”に関し『江戸っ子はなぜ蕎麦なのか?』(岩崎信也著 光文社新書 2007年)では、“ふだん見聞きする江戸そばの「常識」とは、曖昧なイメージの積み重ねの結果といっていい。(略)そして厄介なのは、根拠に乏しい巷説であっても、長い間まことしやかに語り継がれてきたために、一般にはほとんど歴史的事実と化してしまっていることである。 そのへんの事実関係をできるだけていねいに溯り、あわよくば江戸の市民文化の流れのなかに位置づけること。 それが、本書の第二の眼目である”、と言っています。
<参考資料>
「そばの絵本」服部隆へん 上田みゆきえ 東京 農山漁村文化協会
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「江戸っ子はなぜ蕎麦なのか?」 岩崎信也著 東京 光文社
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そばの種類
調布市内のあるお店のそばランチ
(1)いなかそば⇒殻つきひきぐるみ(鬼がらつきの玄そばを混ぜてひいた粉)を使用
(2)やぶそば⇒並粉(丸抜き全粒紛-丸抜きを丸ごと全部ひいた粉)を使用
(3)更科そば⇒更科粉(実の中心、胚乳部だけをひきだした粉)
◆盛り付ける器の種類による分類
(1)ざるそば⇒ざるに盛ったそば
(2)もりそば⇒器に盛ったそば
(3)せいろそば⇒蒸篭(せいろ)に盛ったそば
現在の東京のお店では、(1)(2)(3)とも厳密に使い分けられているとはいえません。
ほかに、山形の板そば、新潟のへぎそばなども盛りつける器の呼称からきている。
◆添える“具”からの種類
・おかめそば
・とろろそば
・月見そば
・にしんそば
・かも南蛮
などなど。。。
ソバ粉の種類
『蕎麦大全』高橋邦弘 NHK出版 より
挽いたときに出る粉(順番)
1、打ち粉(花粉) 胚乳部からでる
2、一番粉(更科粉) これも胚乳部からでる
3、二番粉、三番粉 甘皮の部分が含まれる
4、四番粉(さなご)
5、ひきぐるみ
(『手打ちそば、天下一品』池田好美 創森社、1997年をベースに一部加筆)
なお、厳密に言うと、更科粉と一番粉は違うようです。
<参考資料>
「高橋邦弘の蕎麦大全」 高橋邦弘著 東京 日本放送出版協会
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そばはからだにいいよ
伊那市 行者そばまつりの風景
*兵糧丸 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
兵糧丸(ひょうろうがん)とは、主に戦国時代に使われていた携帯保存食である。
主に晒米(水で晒した白米)や蕎麦粉といった穀物の粉末と鰹節や朝鮮人参、梅干、松の甘皮などの粉末を数種類混ぜ、蜂蜜や甘草でこねて小さい球状にしてあり、カロリーの摂取に重きが置かれている。
昔、厳しい修行をつんだ修験者が、いつも持ち歩いていたのも水で溶くだけで、すぐに食べられるソバ粉。比叡山のお坊さんは、千日回峰行という、千日間の厳しい修行に入る前の100日間、ソバだけを食べて過ごすそうです。
そばは、人間の生命維持や成長に不可欠な「たんぱく質」を多く含んでいます。 また、ビタミンBやミネラル(無機質)、「植物繊維」なども豊富です。 さらに、そばには多量の「ルチン」を含んでいます!
これらの成分の作用で、そばは、毛細血管の働きを安定、強化させ、脳出血や出血性の病気の予防効果があるといわれています。 すなわち、心臓病予防、動脈硬化の予防、高血圧予防などの加えて、食欲不振解消、疲労回復にも役立つようです。