深大寺そばをこよなく愛する人々の歩み1
節分の深大寺
その後、浅田さんがかに山近辺のたきぎ拾いの途中に偶然、そば畑を深大寺南町の農家と出会いました。
昭和61年12月1日に、そこで収穫されたそば粉を譲り受けたことをきっかけとして、浅田さんと張堂さんが相談され、農家の相田力三さんの協力を受けて再び、江戸名所図会の『深大寺蕎麦の図』を再現しようと、1987年になって近隣の畑でそばの栽培が始まりました。
深大寺そばをこよなく愛する人々の歩み2
深大寺そばを味わう集いの案内板
当時の、吉尾調布市長、富沢市議会議長,金子前市長、深大寺谷住職・張堂執事長、蓮慶寺住職、植物公園柴沼所長、ジューキ食品社長、檀家総代富沢さん他計10名の方々に、深大寺客殿にて、味わって頂きました。
最初は、地元深大寺そばの収量がすくなかったこともあり、北信州で調布の姉妹都市になったばかりの木島平からも、そば粉を送って頂き食べ比べました。
深大寺そばをこよなく愛する人々の歩み3
味わう集いの様子
これを契機に招待客100名規模の『深大寺そばを味わう集い』が始まり現在まで続いています(毎年12月24日実施)
そして、お寺のお声がかりで、深大寺奉賛会に、“そばを作ろう”と有志を募った結果、“深大寺そばを作る会”が発足しました。(代表張堂完俊執事長/現住職)メンバーは、深大寺に加えて、そば店、農家、檀家の皆さんで始まりました。
翌年には、この活動に呼応して植物公園内の宿根草園の一角に、初めてそば畑を作っていただきました。(公園の中のそば畑は日本で初?)
深大寺そばをこよなく愛する人々の歩み4
深大寺城址のそば畑
収穫したそばを、どうするのかとの視聴者からの質問をきっかけに調布市民に食べて頂く事になりました。希望者が多く、おまわりさん立ち合いのもとで抽選して、市民100人の方を招待しました。(応募は600人以上でした)
そして10年近く活動した後、“深大寺そばを作る会”を解散し“一味会”(代表張堂執事長)を結成しました。
1999年には、2000年イベントとして神代植物公園の一部1000坪を借り、そば畑を作って調布市の10か所の福祉関係団体に年越しそばとして、3000食をお届けしました。
(調布市民、都民、一味会の協賛で実施)
深大寺そばをこよなく愛する人々の歩み5
山門での十三夜の会での天台声明の情景
月とかがり火に照らされ、薪能に出演していた”プロの笛”と”一面の白いそばの花”の幻想的な雰囲気に訪れた観衆は、酔いしれました。
この模様は、1999年、NHK他民放の午後6時台のニュースの時間に生放送されました。
その後、天台声明(しょうみょう)を中心として組み立てられた“十三夜の会”として、いろいろな趣向を凝らしながら行っております。
この日は深大寺山門で、竹灯籠を立て、マイクなしで、音楽的なお経(声明)をあげ、能樂の笛、琵琶の演奏などを、流れる水のせせらぎと虫の音に混じって聴く様は、まさに、タイムスリップしたようで、その評判を聞いて、遠方からも多くの見物客が来られます。
平成19年は10月23日(18時~19時)に行われました。
深大寺そばをこよなく愛する人々の歩み6
深大寺そばについて愛情一杯に語られる高橋金平さん
その卒業生が、現在深大寺界隈のそば店の店主になり、今では、子供たちにそば打ちの指導を行っています。
深大寺そばの歴史(戦後~現代)
元祖 嶋田家さん正面
神代植物公園は小金井公園と同じ系列で、昭和16年頃でき、近衛文麿内閣時代に戦争の為公園緑地計画により出来ました。(他に世田谷公園、砧公園、水元公園などがあります)
深大寺の有名なだるま市などの行事に加えて、神代植物公園での春秋のバラ展、盆栽展、山野草展、洋ラン展などのイベントも多く賑わってきました。
さらに松本清張原作の『波の塔』の映画撮影等深大寺がロケ地になるといった追い風も吹きました。
その他に、『国定忠治』(大河内伝次郎、岩井半四郎が出演し、現在の動物霊園(犬猫供養塔)を赤城山に見立てて撮影しました。
また、『弥太郎笠』(鶴田浩二主演、岸恵子が恋人役)、『次郎長シリーズ』(鶴田浩二主演)、最近ではキムタク主演の『華麗なる一族』(木村拓也、西田敏行、北大路欣也出演)などの撮影が行われました。
現在22店のそば屋さんが、それぞれの特徴を、生かして営業中です。