武者小路実篤(むしゃこうじ さねあつ)

<作家紹介>

この紹介文の画像
写真提供:武者小路実篤記念館

 武者小路実篤は、1885(明治18)年に東京で生まれました。
 18歳の時に作家になろうと決心しました。24歳からは、文芸雑誌「白樺」を志賀直哉たちとつくり、その仲間たちと自分たちの作品や意見を発表し続けました。
 「白樺」は、1910(明治43)年4月に創刊して、1923(大正12)年8月まで、160号を刊行しましたが、関東大震災のため幕を閉じました。
 大正7年(1918)には、人間が人間らしく生きる社会の実現を求めて、仲間たちと宮崎県木城村のひなびた土地に「新しき村」をつくりました。実篤33歳の時でした。その後、ダム建設のために農地の大部分を失ったこともあり、埼玉県毛呂山町に主力が移りました。そして今日も営々と活動を続けています。
 代表作の「友情」では、青春時代の友情と恋愛の物語を書き、小説のほか、詩、美術や人生について文章など6千篇を発表しております。
 40歳のころからは、苦手の絵にも挑戦して、とうとう画家にもなりました。
 1955(昭和30)年12月、70歳の時に三鷹市から調布市仙川(現・若葉町)に移り住み、1976(昭和51)年4月、90歳で亡くなるまで、20年間をこの地で過しました。
 実篤の没後、その業績を広く後世に残すため、旧邸宅(現実篤公園)とともに、ご遺族から寄贈された貴重な資料を中心に、1985(昭和60)年に「調布市武者小路実篤記念館」を開館しました。平成17年10月、開館20周年を迎えました。
 くわしくは、調布市武者小路実篤記念館ホームページをご覧ください。(高野)

<主要作品>

 「お目出たき人」「幸福者」「その妹」「友情」「人間万歳」「愛欲」「真理先生」


このページのトップへ↑