ハケ道

ハケ道とは

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上石原2丁目18あたり

武蔵野地域で崖地を示します「ハケ」は、市域では二つの段丘の段丘崖、すなわち国分寺崖線と府中崖線が俗称となっています。この崖上は原始・古代の古くから人々の居住するところとなり、各時代の複合遺跡帯となっていますが、それらの集落を連ねて、自然発生的に道が生まれていったことは容易に想像できます。
 市内のハケ道を鎌倉道ともいうとする説が一部にありますが、これは伝承というよりも俗説というほうに近いと考えられます。
 どうもこのハケ道=鎌倉道説は、過去に誰か物知りが不用意に述べたことが誤り伝えられている程度のものとも言えます。
 このように、「ハケ道」は古代にさかのぼりうるもので、その機能も単なる生活道路だけではなくいくらか公的な機能を持った時期もあったと考えられます。

市内に残るハケ道

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飛田給2丁目30あたり

市域における残存区間で道路として共用されていますところを記載します。
 飛田給二丁目8番地先、同町29番地先から第三小学校西側を経て上石原若宮八幡神社向の上石原二町目47番地先までと、下石原三丁目7番地先から同29番地先、同39番地先からノートルダム修道院西側を経て旧小字「波毛」の同70番地先までに、国領町六丁目8番地先から同27番地先、同町七町目3番地先から同26番地先及び、同38番地先から同60番地先までなどが残っているようです。

市内のハケ道写真~中央高速下

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飛田給2-47あたり

市内のハケ道写真~第三小学校付近

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上石原2-17あたり

市内のハケ道写真~国領町6-47

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国領町6-47あたり

市内のハケ道写真~若宮八幡裏

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下石原3-17あたり