吉永小百合が通った撮影所への道

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「日活映画」1962年10月号表紙より

 俳優の吉永小百合さんは1960年高校生になった時に日活に入社し、数多くの映画に出演しています。その当時の映画は調布にある日活撮影所で制作されており、吉永さんはそのために日活撮影所に通っていました。日活撮影所へ行くために、吉永さんは京王線に乗って布田駅で降り、駅から撮影所への道を歩いて通っていました。
 吉永さんはその時の思い出を自身の著作で書いています。また俳優の宍戸錠さんや美術監督の木村威夫さんも布田駅から撮影所への道について書いています。
 それを紹介するとともに、その道が現在どのような様子になっているかを調べてみました。

吉永小百合さんの思い出

 吉永さんは「こころの日記」の中の1964年2月3日の出来事として、次のように書いています。

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『二月三日
朝、布田から撮影所までの道で西の方を見ると、富士の秀峰が白くそびえ立ち、丹沢の山々が白く青く浮き上がっていた。そして北の方を見ると、すき透るような山肌を見せて-あれは秩父の山だろうか。それとも甲府の方かもしれない-静かに、静かに続いていた。
冬の朝。
一日の仕事を終えてたそがれの中を外へ出ると真珠母色の夕暮れが山々をつつみ、沈んでいく太陽は最後の光を野山に投げかけている。
淋しい夕暮れ。』
吉永小百合「こころの日記」(講談社1969年)より抜粋]

吉永小百合さんのこと

 吉永小百合さんは子役として活躍していましたが、高校入学と同時に日活に入社しました。1960年代の映画の黄金時代には、1年間に15本以上の出演映画が上映されるほどの人気を集め、そのファンを「サユリスト」と呼称する社会現象も巻き起こすほどでした。1962年に上映された「キューポラのある街」ではブルーリボン賞主演女優賞を受賞し、その演技力も高く評価されました。また当時は歌手としても活躍しており、「寒い朝」「いつでも夢を」など数々のヒット曲を出しました。
 映画女優として活躍するとともに、テレビでも「夢千代日記」などに出演して好評を得ています。2016年に上映された「母と暮らせば」は119本目の映画です。現在120本目の作品「北の桜守」を撮影中で、2018年春に公開予定です。日本アカデミー賞最優秀主演女優賞など数々の賞も得ております。

宍戸錠さんの思い出

 俳優の宍戸錠さんも初めて日活撮影所に行った時のことを次のように書いています。

『京王線布田駅を降りてかなり高低差のある線路を渡り、ソコへ行くには一・七キロぐらいの道程だ。
 戦災を受けなかったのに、いまどき東京にもこんな道があるのかと疑いたくなる悪路だった。駅から七百メートルまでは、かって舗装はしてあったものの、いたるところ抉られて、砂利と泥が剥き出しになっていた。雨期に入って、六月の空気は重たくなった。前途の多難さを象徴しているかのように。
 二十世紀が生んだ最大の娯楽「映画」、人類の叡智と芸術の映像化であり、時代の先端を行くものが(シシドもその担い手の一人になったはずだが・・・)、文化とはほど遠い泥道を歩かなければ、辿り着けない場所で創られている。少なくとも日本映画の製作本数の六分の一が創られるン だと思うと、不思議な気がした。
 椿地蔵を過ぎて、しばらくすると、視界が開けた。青田だ。田植えが済んだばかりの(シシドたち一期生のような)ひ弱な青い稲が、風に揺れていた。
 その牧歌的な田園風景に果たし状を突きつけるかのようにソコは屹立していた。白いカマボコ型のステージ一棟と白い長方形の本館は、白亜の殿堂と呼ぶには小規模だったが、近代的でスマートでメカニックな雰囲気を漂わせていた。
 シシドは何故か戦争中にソコに似た場所に立った記憶があった。そこは朝鮮人墓地だった。ふと、そんなことが思い出された。不思議で仕方なかった。
 "ソコ"は日活撮影所。
 シシドの新しい職場。
 映画工場だ。』
宍戸錠さんの自伝「シシド 小説・日活撮影所」(新潮社2001年)から抜粋〕

木村威夫さんの思い出

 多数の日活作品を担当した美術監督の木村威夫さんも初めて日活撮影所に行った時のことを書いています。

『昭和二十九年の六月、私は京王線布田駅を降りると南に向かって細い道を歩きだした。まわりは田や畑であった。あぜ道のような細い道を直進すると、大工場のごときドームの白い建物が並んで見えた。周囲を威圧するかのようにそびえるその建物は、東洋一の規模を誇る日活撮影所である。』
木村威夫さんの自伝「わが本籍は映画館」(春秋社 1986年)から抜粋〕

撮影所への道の現在の様子

 現在の布田駅から撮影所への道を歩いてみました。吉永さんが歩いた頃と較べてどのように変わっているでしょうか。距離は約1.5km、徒歩で約20分の道です。
歩いたのは2017年1月ですが、11年前2005年12月にも同じ道を歩いており、その時からの変化も交えて説明します。

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撮影所への道MAP1

(P01)布田駅は2012年8月に完了した京王線調布駅付近の地下線化に合わせて地下駅となり、駅前も広々としてロータリーになっています。

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(P02)布田駅からの道の最初は商店街です。吉永さんが通ったころはここも砂利と土の道だったのでしょうか。

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(P03)歴史を感じさせるタクシー会社がありました。日活撮影所ができたころから営業しているそうです。

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(P04)道の両側に住宅やマンションが立っています。吉永さんが見た富士山や丹沢の山々は建物に遮られて見ることができません。

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(P05)途中に塀に囲まれた建物がありました。ここまでは見られなかった大きな木が残っています。

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(P06/P07)品川街道と交差する椿地蔵の交差点に出ました。宍戸錠さんも地蔵を横に見て歩いていました。

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撮影所への道MAP2

(P08)椿地蔵を過ぎると下り坂になります。時々畑が現れますが、住宅がほとんどです。

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(P09)坂を下ると石原裕次郎さんがよく通った、五万石があった場所に出ます。その先の三叉路を右に進みます。

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(P10)今も残っている田んぼを見つけました。吉永さんもこの田んぼを見て歩いたのでしょう。宍戸錠さんはここで田植えがすんだあとの青い稲を見て歩いたのかもしれません。

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(P11)撮影所の跡に建てられたマンションが見えます。昔はここから白いカマボコ型のスタジオ群が見えていたのでしょう。

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(P12)染地一丁目の交差点をまっすぐに行くと現在の撮影所正門に着きます。昔はここを左折した道の先に正門がありました。

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(P13)現在の撮影所正門に着きました。

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布田駅を出発 P01

 2012年の京王線調布駅地下化にともない布田駅も地下化され、2017年時点の布田駅は新しい駅舎になっています。駅前も広いロータリーとなり、それまであった京王線の踏切も当然無くなっています。
 吉永さんが撮影所に通っていた頃は改札口が上がり線側にしかなく、下り線のホームで降りると一旦駅構内で線路を渡って上り線側にある改札口から出ました。
 2005年時点では駅構内で線路を潜り地下改札口から地上に出ました。地上に出たところの地面に丸いアスファルト舗装跡がありますが、これはりっぱな桜の木の伐採跡です。(写真では右下)これは地下改札口ができる時に一夜にして伐採されたため、"一夜桜"ともよばれています。

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駅前商店街を通って P02

 2005年時点では蕎麦屋や花屋、コンビニなどのお店が並んでいましたが、2017年ではお店が少なくなっていました。

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撮影所の俳優さんも利用したタクシー会社 P03

 タクシーを運行する美善交通は、日活撮影所ができて間もなくして開業したそうです。当時は撮影所へ通う人にとっての足として重宝されたいたそうです。2017年時点でも営業を続けています。

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マンション群を見ながら P04

 2017年時点でも2005年時点のと同じマンションがありました。この他にもマンションが増えていました。

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塀の中に大きな木が P05

 2005年時点では、ここにはまだ農家だったと思われる古い建物が残っていましたが、2017時点ではその建物は無くなっていました。木も少なくなり、勢いも無くなっているようです。
 ここには、2005年時点でもまだ牛が飼われていたようです。

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椿地蔵の交差点に P06/P07

 椿地蔵も交差点の佇まいも変わっていませんでした。

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坂道を下る P08

 2005年時点では倉庫のような建物がありましたが、2017年時点では住宅に変わっていました。
 2005年時点の写真に写っている倉庫は、使用済みのビン(酒・ビール・サイダー・ジュ―ス等)別に収蔵している土井瓶店の倉庫跡でした。2001年頃まで使用されていたようです。

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三叉路を右に P09

 2005年時点では左に五万石を見て歩きましたが、2017年時点では店は無くなり、その跡に住宅が建っていました。

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住宅に囲まれた田んぼ P10

 冬の田んぼは稲刈りの跡も寒々しく、寂しげな風景になっていました。

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撮影所跡地に建てられたマンション群 P11

 撮影所の跡に建てられたマンション群の景色は、2017年時点と2005年時点とであまり変化はありませんでした。

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撮影所旧正門への道 P12

 染地一丁目の交差点です。昔は布田からの道をここで左折して(写真では正面方向)、撮影所正門に向かいました。現在は真直ぐに進み(写真では右方向)、正門に向かいます。

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撮影所に到着 P13

 現在の正門は敷地の南側で多摩川沿いの道路側にありますが、昔の正門は敷地の北側にありました。

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1950年代の日活撮影所

1 正門
2 第1~10ステージ
3 本館(所長室、監督室、
  俳優部屋、衣裳部、宣伝部)
4 録音室
5 ダビング室
6 食堂
7 大道具倉庫
8 オープン・セット

(写真と説明文は「協同組合日本映画・テレビ編集協会」提供)

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基本情報

所在地 調布市国領町5丁目67(布田駅)
問い合わせ 調布市立中央図書館 地域情報化担当
042-441-6181
作成年月 2017年6月
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