子どもと一緒に歩こう

 いつも通っている小学校。椿に囲まれたお稲荷さん。大きな桜の樹。
そんな街のひとつ一つにも歴史があり、もし口があれば、平和について話したい事が山程あると思います。
そんな声を親子で聞いてみませんか。

<戦時中の子どもたち>

 小学校は、戦時中には尋常小学校(じんじょう)、1946年(昭和16)からは国民学校とよばれました。小さな働き手として、勉強より農作業や工場で勤労奉仕(きんろうほうし)をさせられていました。
 調布飛行場に雪が降ると、小学生は滑走路の雪踏みもさせられました。これは、とても危険な作業でした。

<参考資料>
★ 『開校百周年記念誌』(市立滝坂小学校)【蔵書検索】
★ 『創立百周年記念誌』(市立深大寺小学校)【蔵書検索】
★ 『一小創立80周年記念誌』(市立第一小学校) 【蔵書検索】
★ 『僕の調布にも空襲があった』(みんな新聞社)  【蔵書検索】
★ 『新しい世紀へ』(調布市立第一小学校)  【蔵書検索】

<食料・衣類の配給>

 食べ物・衣料・文房具や金属まで、総てのものは軍隊へ優先的に渡されました。金属のおもちゃは消え、洋服も「衣料切符」がないと買えません。食べ物も配給されるものでガマンしなければなりませんでした。子どもたちは、いつもお腹をすかせていました。調布地域の子どもは、川で魚やドジョウを捕ったり、野原で野草を摘んで補っていました。お腹をすかしてトンボを食べた話しもあります。

<参考資料>
★ 『開校百周年記念誌』(市立滝坂小学校) 【蔵書検索】
★ 『創立百周年記念誌』(市立深大寺小学校)【蔵書検索】
★ 『一小創立80周年記念誌』(市立第一小学校)【蔵書検索】
★ 『僕の調布にも空襲があった』(みんな新聞社)【蔵書検索】

<平和マップ>

【注】=印の場所は許可を得て敷地内に入るか、外から見て下さい。

 調布の子どもの様子が分ってもらえましたか。それでは、今度は調布のまちを歩いてみましょう。
 お父さんやお母さん、先生と出かけるのが一番ですが、今回は歩いて行けるコースを幾つか作ってみました。
<調布コース>
<国領コース(4月7日/B29墜落)> 
<仙川コース>

<「調布コース」 徒歩約40分>

この紹介文の画像

出発地/調布駅南口
A■ グリーンホール前
  *調布尋常小学校跡地記念碑
 以前、この場所に調布第一小学校がありました。砂場あたりには天皇の写真を納めた奉安殿(ほあんでん)も建っていました。

B■ 調布市役所前
  *平和の塔
  *被爆アオギリ2世
 調布市は[調布市非核平和都市宣言](1983年)、「調布市国際交流平和都市宣言」(1990年)を採択して平和の大切さを呼びかけています。

C■ 若松稲荷(第一小学校裏)
 *皇紀二千六百年記念した木と歌碑

D■ 布多天神
  *戦勝祈願灯籠
  *消された忠魂碑
 奉納された石灯篭の「戦争祈願」の文字は敗戦後コンクリートで埋められたものです。同境内にある「忠魂碑」の「忠」の文字も削られた跡が見られます。



拡大地図 ここをクリック(pdf)

<国領コース 徒歩約40分>

この紹介文の画像

出発地/国領駅
A■皇紀二千六百年の碑
国領の五香屋(呉服屋)が建てたものです。

B■ 国領駅近くの桜
  この木の西側に河栗一家が住んでいました。
 1945年(昭和20)4月7日にB29の翼が防空壕の上に落下し、一家8人が亡くなりました。桜の木は遺体が並べられた場所です。

C■ 調布稲荷神社
   4月7日にB29より米兵が降りてきた椿、その後に惨殺された場所でもあります

D■ 多摩川病院
  5月25日の空襲の火傷で竹内喜久枝ちゃん(14)が入院した病院です。その後7月2日に亡くなりました。
 4月7日には、この周辺にB29の機体がバラバラになって落下してきました。

E■ 円福寺墓地
  *米兵の埋葬地
  *河栗家の墓
  *竹内家の墓

F■ 布田駅


拡大地図 ここをクリック(pdf)

<仙川コース 徒歩約60分>

この紹介文の画像

出発地/仙川駅
A■ 昌翁寺
  *戦没英霊墓
  *機銃掃射痕の墓石

B■ 和光堂 【注】現在はホームセンターになっています。
  *軍需工場
  *学童疎開児の入った風呂場

C■ 桐朋学園 【注】
  *図書館の場所に神社がありました。
  *学童疎開児が使った講堂

D■ 西照寺
  *疎開児童の面倒をみていた寺院
  *『備忘日記』を所蔵

E■神代高校【注】

F■ 弾薬庫跡【注】



拡大地図 ここをクリック(pdf)

基本情報

問い合わせ: 調布市立中央図書館 地域情報化担当
042-441-6181