石に刻まれた足跡

石に刻まれた足跡

1.<機銃掃射痕の墓石>
2.<布多天神の石灯籠>
3.<紀元二千六百年国旗掲揚台>
4.<下石原八幡神社の国旗掲揚台>
5.<糟嶺神社の国旗掲揚台>
6.<若宮稲荷の歌碑>
7.<招魂碑と忠魂碑>
8.<戦没者碑と新たな忠魂碑>
9.<板橋から運ばれた日露戦争紀念碑>


1.<昌翁寺の機銃掃射痕(仙川3-7)>

この紹介文の画像
機銃掃射痕の墓石

 境内の不自然に欠けた墓石は、米軍機による機銃掃射の痕です。この寺には港区からの学童集団疎開児童が来ていました。彼らの記録にも機銃掃射の事が書かれています。

★ 『青南国民学校の神代村疎開』(調布市郷土博物館) 【蔵書検索あり】
★ 『資料から見た学童疎開 1』(みんな新聞社) 【蔵書検索あり】
★ 『備忘日記』(調布市立図書館) 【蔵書検索あり】

2. <布多天神の石灯籠(調布ヶ丘1‐8)>

この紹介文の画像
「戦勝祈願」の文字が読める灯籠

 アジア・太平洋戦争の開戦日である昭和16年12月8日に献納された灯籠です。敗戦直後、進駐軍を恐れて、碑文の「戦勝祈願」の文字をコンクリートで埋めました。GHQが廃止された1952年(昭和27)以後、掘り出しましたが半分程でやめたまま現在に至っています。

<参考資料>
☆ 『僕の調布にも空襲があった』(みんな新聞社) 【蔵書検索あり】

3. <紀元二千六百年国旗掲揚台(国領町2‐10)>

この紹介文の画像
五香屋の国旗掲揚台 (五香屋プラザビル前)

 国領町の五香屋は戦前は呉服屋さんでした。
 1940年(昭和15)は日本では紀元二千六百年とされ、国を挙げて祝われました。その年を記念して五香屋が個人で建立した国旗掲揚台です。

<参考資料>
★ 『僕の調布にも空襲があった』(みんな新聞社) 【蔵書検索あり】
▼ 『風雪』(荻本貞臣) 【蔵書検索あり】

4. <下石原八幡神社の国旗掲揚台(富士見町2‐1)>

この紹介文の画像
青年団が建てた国旗掲揚台

 日米開戦の年、1941年(昭和16)に下石原青年団が奉納した国旗掲揚台です。町は戦争一色でした。

<参考資料>
☆ 『僕の調布にも空襲があった』(みんな新聞社) 【蔵書検索あり】

5. <糟嶺神社の国旗掲揚台(入間町2‐19)>

この紹介文の画像
糟嶺神社の国旗掲揚台

 皇紀二千六百年記念と刻まれた国旗掲揚台です。下石原八幡神社のものより1年早く建立しました。
 奉納したのは、神代村在郷軍人会と同青年団入間支部です。

<参考資料>
☆ 『僕の調布にも空襲があった』(みんな新聞社) 【蔵書検索あり】

6. <若宮稲荷の歌碑(小島町1‐8)>

この紹介文の画像
若松稲荷の歌碑(小島町1-8)

 調布市立第一小学校横にある稲荷には、紀元二千六百年を記念した歌碑と献木の碑「思親木」があります。

<参考資料>
☆ 『僕の調布にも空襲があった』(みんな新聞社) 【蔵書検索あり】

7. <招魂碑と忠魂碑>

この紹介文の画像
忠魂碑(深大寺)

 調布地域には、西南戦争の戦没者を祭った招魂碑や忠魂碑、戦没英霊碑が現在8基あります。忠魂碑の中には、戦後、公共の場から移動させられた碑もあります。
西光寺(招魂碑 1基)
深大寺(忠魂碑 1基)
深大寺(戦捷記念碑 3基)神代出張所裏から移動
布多天神(忠魂碑 2基)その1基の忠の文字が削られています。
布多天神(戦役記念碑 1基) 

<参考資料>
★ 『礎』(北多摩神道青年会むらさき会) 【蔵書検索あり】
▼ 『僕の調布にも空襲があった』(みんな新聞社) 【蔵書検索あり】
▼ 『招魂碑と西光寺』(中村脩三) 【蔵書検索あり】
▼ 『東京都忠魂碑等建立調査集』(靖国神社) 【蔵書検索あり】

8.<戦没者碑と新たな忠魂碑>

この紹介文の画像
第二次世界大戦と明記された墓碑(法性寺)

 アジア・太平洋戦争の戦没者を祭った碑は2基あります。昌翁寺の「戦没英霊墓」は、その字の通り檀家の墓を兼ねたものです。
 別にGHQの占領政策廃止後に忠魂碑を個人で建立したものが2基あります。
昌翁寺‥戦没英霊墓 1基
法性寺‥第二次世界大戦 戦没英霊之墓 1基
法性院(個人 忠魂碑) 1基
田中稲荷(個人 忠魂碑) 1基

9.<板橋から運ばれた日露戦争紀念碑>

この紹介文の画像
写真/2015年9月16日撮影

深大寺境内から1906年(明治39)5月に北豊島郡(現在の板橋区)志村の志村小学校に建立された「日露戦役紀念碑」が発見されました。
 いわゆる忠魂碑の一種類で、敗戦後GHQの政教分離政策で、学校や公共施設敷地内からの撤去が求められました。
 志村の高さ328cmの碑が、なぜ約20キロも離れた神代村の深大寺に運ばれたのかは不明です。ただ、深大寺は神代村役場敷地内の二基の忠魂碑を受け入れています。
 推測ですが・・・。碑の受け入れを知った志村人が、124人の出征兵士名の刻まれた碑を壊すに忍びなく、深大寺に頼み込んで運んだと思われます。
 <参考資料>
 ★「毎日新聞:2016年1月20日付け」/都内版・多摩版記事
 ☆『深大寺学術総合調査書 第二分冊』P.103
 ▼『六十周年記念誌』(板橋区立志村小学校)P.12【調布図書館には所蔵せず】
 

基本情報

問い合わせ: 調布市立中央図書館 地域情報化担当
042-441-6181