深大寺の句碑・歌碑

 深大寺の境内には,十数基の句碑や歌碑があります。

 散策しながら探してみてはいかがでしょうか。

(1) 小松北溟(こまつ ほくめい)   歌人

 『ひたすらに大杉の秀の指す空は武蔵のいぶき湛えて深し』

 清水比庵の歌誌「窓日」の創刊から編集委員長となり,「青陽」などの歌集があります。

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(2) 清水比庵(しみず ひあん)   歌人

  『門前の蕎麦はうましと誰もいふこの環境のみほとけありがたや』

 歌誌「窓日」を創刊主宰し,1966(昭和41)年宮中新年歌会始の召人となったこともありました。

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(3) 篠原温亭(しのはら おんてい)   俳人

 
 『はせ栗の落つれば拾ふ住居哉』

 「ホトトギス」系の俳人として虚子の指導を受けていましたが,1922(大正11)
年島田青峰とともに俳誌「土上」を創刊,農民俳句に新境地をひらきました。

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(4) 高浜虚子(たかはま きょし)   俳人

『遠山に日の当りたる枯野かな』

近代俳句は子規により生まれ,虚子により育てられたといえます。近代俳壇の巨星といわれる人です。その虚子の代表句のひとつです。
 虚子は調布に住んでいたことがあり,この「遠山」は,深大寺の丘だともいわれています。

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(5) 中村草田男(なかむら くさだお)   俳人


 『萬緑の中や吾子の歯生え初むる』
 
 「萬緑」という季語は,この句により季語として認められた新しい季語です。深大寺の森の中で案じた句だともいわれています。俳人協会の初代会長をつとめ,俳句界の重鎮でした。

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(6) 林 光雄(はやし みつお)   歌人

 『この寺に遊ぶしばしを清らかにあらしめんとや梅さき澄める』
 
  歌誌「あけび」の主幹をしていたとき,あけび歌会によって建てられた歌碑です。
  林光雄は小西六写真工業(現・コニカ)の専務取締役として,実業家としても活躍していました。

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(7) 皆吉爽雨(みなよし そうう)   俳人


 『春惜しむ深大寺そば一すすり』

 俳誌「雪解」を創刊・主宰。1961年俳人協会創立とともに専務理事として俳句界のために活躍しました。この句碑は爽雨の生前「雪解」同人・会員により建立されたものです。
 なお,皆吉爽雨の墓は,深大寺三昧所基地にあります。

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(8) 井澤正江(いざわ まさえ)   俳人


 『そのひまの空はまぼろし辛夷咲く』

 爽雨没後「雪解」の主宰となりました。句碑も爽雨の隣りにあります。師弟句碑由来の解説が建っています。

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(9) 石坂泉泣子(いしざか せんきゅうし)   俳人

 
 『菩提樹や生涯つきぬ寺清水』
 
地元俳人として,戦前は島田青峰の「土上」に参加,戦後は秋元不二男の「氷海」に参加,調布俳句協会会長をしていました。

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(10) 小林康治(こばやし こうじ)   俳人


 『逢うもまた別れる花月夜かな』

 1941(昭和16)年三十歳のとき,石田波郷の「鶴」に入会,1963年句集「玄霜」で俳人協会賞を受賞,のちに「林」を創刊主宰しました。

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(11) 金原省吾(きんばら しょうご)   歌人・美術研究家

 
 『みほとけの眼のかたち思ひつつ心は親し慨くに似たり』
 
 東洋美術史研究の権威で文学博士,またアララギ派の島木赤彦に師事したアララギ派の歌人としても活躍しました。深大寺を訪れて白鳳仏に深い感慨をおぼえ,この歌を得られたのでしょう。

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(12) 石田波郷(いしだ はきょう)   俳人

 『吹き起こる秋風鶴を歩ましむ』

 この句碑の背面に次のように記されています。
 『大正二年三月十八日四国松山に生まれる。昭和十二年俳誌「鶴」を創刊し昭和俳壇に大いなる足跡を残す。定本石田波郷全句集により読売文学賞受賞,句集「酒中花」により芸術選奨文部大臣賞,昭和四十四年十一月二十一日没……(以下略)』
 石田波郷の墓は深大寺三昧所墓地にあります。


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(13) 星野麥丘人(ほしの ばくきゅうじん)   俳人

 『草や木や十一月の深大寺』

 師の石田波郷の俳誌「鶴」を継承し,その主宰となっています。この句碑も師を慕うように波郷の句碑のそばに建っていました。

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(14) 松尾芭蕉(まつお ばしょう)   俳人

 『象潟やあめに西施が合歓の花』

 「おくのほそ道」のなかでも有名なこの句の碑が,どうして深大寺にあるのか,不思議におもったのですが,その理由はつぎのようなわけでした。
 秋田県象潟港で,延命地蔵の線刻された大石が,近年発見されました。慈恵大師と判明し,大師ゆかりの寺ということで,この深大寺に贈られてきました。寺ではすぐに小祠を建てお祀しました。
 発見された場所が象潟でしたので,象潟といえばすぐ思い起こされるこの句が,小祠への誘い役として,小祠への入口に建てられたものです。
 なお,景勝の地でしたが,大地震で地盤が隆起し,芭蕉が「おもかげ松島にかよいて又異なり,松島は笑うがごとく,象潟はうらむがごとし」と称揚した景色も,今はただの凹凸のある,なんの変哲もない農地と変わってしまいました。

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(15) 安東次男(あんどう つぐお)   詩人・俳人

 『木の實山その音聞きに帰らぬか』

 俳人で詩人,そして評論家でもあった安東次男の墓と句碑が深大寺の三昧所墓地にあります。今は泉下で木の實の音を聞いているかもしれません。
 東大経済学科在学中から俳人加楸邨の指導をうけていましたが,戦後金子兜太と俳誌「風」を創刊しました。俳句を主とし詩や美術の著述もあり,多岐にわたり活躍していました。(緒方)

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