角川大映スタジオ 2013

はじめに

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外観1全景

 角川大映スタジオは、戦前の1933年(昭和8年)に同地に開所した日本映画多摩スタジオをルーツとし、戦前の日活多摩川撮影所から、戦後の日本映画最盛期の大映東京撮影所を経て、2013年時点は角川書店を親会社とする株式会社角川大映スタジオが運営。80年にわたって日本映画製作の一翼を担い、数々の名作・ヒット作を世に送り出してきた映画撮影所です。
 ちなみに、ルーツとなる日本映画株式会社多摩川スタジオは、後の調布市長となる本多嘉一郎さんが昭和7年、京都より派遣されて東京に映画撮影所の最適地の調査に訪れ、「水澄み、時代劇、現代劇に最適なり」と報告して、建設されたことでも知られています。

 なお、2017年3月に、これまで掲載していた「角川大映スタジオ(~2012年)」は「角川大映スタジオ 2013」に統合して削除しました。

歴史 1933-2002

  1933年(昭和8年)  日本映画株式会社の多摩川スタジオとして建設される
  1934年(昭和9年)  日本活動写真株式会社(日活)が買収、日活多摩川撮影所を開設する
  1942年(昭和17年) 大日本映画株式会社(後の大映)が設立され『東京第二撮影所』となる
  1945年(昭和20年) 『大映株式会社 東京撮影所』となる
  1974年(昭和49年) 徳間書店の傘下になり、『大映映画株式会社』として再発足
  1977年(昭和52年) 撮影所が『株式会社大映映画撮影所』として分離される
  1983年(昭和58年) 『株式会社大映スタジオ』に社名変更
  1994年(平成6年)  大映株式会社に統合されスタジオ事業本部となる
  2002年(平成14年) 角川グループに営業譲渡される(『株式会社角川大映映画』設立)

日本映画全盛期の大映東京撮影所時代

 日本映画最盛期の大映東京撮影所時代は、2013年時点の敷地に加え、隣接する調布南高校も、前の道を挟んで駅方向まで占める大規模マンションもなく、京王相模原線の線路の辺りまでずっと撮影所の敷地。撮影所の門は駅前にあったと言います。敷地内には特撮用のプールがあり、夏になると撮影所スタッフが泳いでいたそうです。

2002-2013

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外観2玄関

 2013年時点の角川大映スタジオは京王相模原線・京王多摩川駅から徒歩2分。敷地は約3800坪。近年、3次にわたるリニューアル・プロジェクトを実施して、映画のデジタル化に対応した最先端をゆく設備機器と人材を結集した撮影所に大変貌。誰もが歓声を上げるランドマークは、迫力の大魔神像、そしてガメラ!!

角川大映スタジオに至る近年のトピック
●2004年(平成16年) スタジオ名称を『角川大映撮影所』とし、全面リニューアルオープン
●2006年(平成18年) スタジオ棟オープン(ステージA、B、C、D))
●2011年(平成23年) 合併により『株式会社角川書店 スタシオ事業本部』となる
 ・大型ステージG棟オープン ・ポストプロダクション棟オープン
 ・プロダクション事業開始 ・ポストプロダクション事業開始
●2013年(平成25年)  会社分割により『株式会社角川大映スタジオ』設立

2013年時点の角川大映スタジオの事業内容
1. 映画、TVドラマ、CVM撮影などに提供するスタジオレンタル事業。
2. 角川映画作品として配給上映する劇場用映画の制作事業。最近では『貞子3D』が大ヒット。
3. ガメラや大魔神などの人気作品、芸術や文化に貢献した名作に関連した各種イベントの実施。映画文化、映像文化の振興をめざす活動やイベントへの協力。

 なお、角川大映撮影所は2005年にも取材しており、その情報は「2005年の取材情報」に掲載しています。

角川大映スタジオ 外観4

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ポスプロ棟前庭1フルショット

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外観5俯瞰

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外観5俯瞰

角川大映スタジオを探検する

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 通称Gスタと呼ばれる自慢の特大のステージG(305坪)のほか、4階建のスタジオ棟のステージA~D、旧大映時代からある第1・第2スタジオと、屋内スタジオが計7つ。一番驚いたのはデジタル化の浸透、フィルムを使う撮影はほぼ無くなり、照明も従来の白熱光タイプのタングステンライトから、強力な昼光タイプのHMI ライトが主流になっています。

ステージ A

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ステージ A

ステージ B

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ステージ B

スタジオ 2

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スタジオ 2

ステージ G ホリゾント

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ステージ G ホリゾント

ステージ G ホリゾント逆側

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ステージ G ホリゾント逆側

フィルムもテープも消えた映像・音響編集

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映像をオフライン編集(繋ぎ編集)するエディットルーム

ポストプロダクション棟は、撮影後の映像や音響の編集・加工処理を行うステージで、デジタル時代に対応した最新の設備機器を結集。一番驚いたのはデジタル化の浸透、「映画=フィルム」ではなくなったという事実です。
まず、データ素材をハードディスクにすべて保存し、Avid(アビッド)という編集ソフトを使用し、PCでオフライン編集と呼ばれる<繋ぎ編集>を行う。そのあと、そのオフライン編集したデータをベースに、オフライン編集と呼ばれる合成や加工処理、及びカラーコレクション作業を行い、作品が完成していきます。映画からフィルムが消え、テレビからテープが消え、すべて編集システムで作業をする環境に移行しています。

ダビングステージ(映画の音を仕上げるメインステージ)

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ダビングステージ(映画の音を仕上げるメインステージ)

映画の音を仕上げるこの部屋には、最高の音響クオリティを提供する機材が揃い、映画館と同じようにスクリーンに映像を映写しながら作業が進められます。壁には心地よい音響空間を実現する木製の柱状拡散体「AGS」が敷き詰められ、4wayスピーカーにより高品位な音源再生が行えます。

ダビングステージ

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ダビングステージ

●俳優さんが映像モニターを見ながら音声を吹き込むアフレコスタジオ

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(※写真提供:角川大映スタジオ)

「音響効果」から知る映画製作の至芸

映画制作では、音響効果は自然音を使うより、ほとんど作っていることを発見。フォーリーアーチストと呼ばれる人たちが足音や服の擦れる音、食器の音など、様々な音をあとから録音して足すことで、より深みのある音空間を演出します。その第一人者の柴崎憲治さんがスタジオ作りから監修した効果音収録スタジオ「Foley Stage」。映画の至芸が濃密に感じられる「音響効果」づくりの現場です。

どんな生活音も

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どんな足音も

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恐怖の軋みやドア音も

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どんな水音も

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仕上げの確認はゴージャスな地下試写室で

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ポストプロダクション棟の地下にゴージャスな試写室があります。先のダビングステージと全く同じ映写、音響設備で、高品位な音響空間を実現した試写室です。座席数60を超える、映画館以上にゆったりとした環境の中で、制作された映画が世に出ていく前の最終確認をします。

柱状拡散体「AGS」

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試写プロジェクター

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試写プロジェクター

山田洋次監督『東京家族』と角川大映スタジオ

松竹育ちの山田洋次監督は、『東京家族』の撮影では角川大映スタジオに白羽の矢を立てました。物語の舞台が東京多摩地区であったこと。視界を遮られることなく多摩川を含む多摩地区の風景を撮影できること。その条件を満たす屋上スタジオもあったからです。風景の撮影は夜中の3時から準備して行われました。屋上スタジオは自然の空をそのまま利用して空抜けのシーンが撮影できるので、洗剤のCMの撮影などによく利用されています。

屋上オープンスタジオから南側に隣接する都立調布南高校越しに見る多摩川方向の風景。

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東側第1スタジオ越しに見た日活撮影所方向の風景。

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大映のDNA 大道具は自前で作る

永田大映時代から、京都撮影所も調布撮影所も、美術部の仕事は絶大な評価を受けていました。この大映撮影所の美術部のDNAの継承も、角川大映スタジオの大きな使命の一つ。2013年時点も、映画、TVドラマ、CFの別なく、「撮影所で使われる大道具の一切を美術部で作る」という撮影所魂を堅持。美術部があるからこの撮影所を利用するというパターンが多いそうです。

『貞子3D』の撮影のために作られた井戸。

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撮影所の片隅で風景の一部になっていて不思議な雰囲気。

息づく“大映のDNA”

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1986年(昭和61年)、太秦の大映京都撮影所を完全閉鎖し跡地を売却。2013年時点、永田大映時代以前からの大映のDNAを直接継ぐ映画施設は、ここ角川大映スタジオしかありません。その伝統の管理も角川大映撮影所の大事な使命とし、雷蔵門、大魔神像などのほか、撮影所そのものが歴史を示す大映ギャラリーとしてさまざまな資料が残っています。

雷蔵門

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門を閉めると眠狂四郎の円月殺法の構えになる。主演した人気スター故市川雷蔵ご本人とほぼ同サイズで作成。

パワースポット『大魔神社』

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調布の布多天神と府中の大國魂神社から御魂(みたま)を分祀してもらっている本格的神社。例大祭をはじめ、撮影の無事安全やヒット祈願を行い、宮司は布多天神から来ていただく。『大魔神』は大映京都撮影所生まれだが、角川大映スタジオのパワースポットとして絶大な存在感を示しています。

撮影所の外と内をつなぐ“SHOP MAJIN”

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一般の方も開店(平日10時から17時まで営業)していれば、常時このショップに入れます。人気商品は、魔神クッキー(近所のベーカリー「フランダース」特製)、ガメラ・大魔神のレアなフィギュア、オリジナルTシャツ・・・など。撮影所で行うフェスティバルやイベントの情報も紹介する情報発信地でもあります。

魔神クッキー(2017年販売)

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魔神クッキー(2013年販売)

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映画屋魂にかけて 1

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◎映画撮影所を一度壊すと再生できない
 旧大映のDNAを残す意味でも、映画と映画撮影所の価値を世の中が忘れないためにも、角川大映スタジオが、最新機器を完備した映画撮影所に生まれ変わっている意義は大きいと自負しています。調布にはもう一ヵ所日活撮影所があり、隣の世田谷区には東宝撮影所がある。日本映画にとって最重要地区であることには変わりはありません。

角川大映スタジオ 担当部長さんのお話(2013.07.10)

映画屋魂にかけて 2

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◎フィルム時代の作品のアーカイブづくりも重要な使命として
 日本映画は、独立独歩で娯楽作品から芸術作品まで育ててきました。歴史の保存ということでは、娯楽作品も芸術作品も価値に差はありません。娯楽作品で儲けて芸術映画に投資するという関係で、映画産業も映画文化も、人材も技術も育ってきた。つまり芸術か娯楽かではなく、フィルムそのものが文化資産であるのが映画です。アーカイブ管理ということでは、作られた作品、残っている作品は、ヒットか名作かに関係なくすべて保存・管理・再上映の対象としないといけません。だから、親会社のKADOKAWAは版権取得した全作品のネガを国立近代美術館のフィルムセンターに寄託しています。寄託とは所有者との契約により原板フィルムを無償で保管する形式。版権は角川書店が所有し、管理しています。

角川大映スタジオ 担当部長さんのお話(2013.07.10)

映画屋魂にかけて 3

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調布・映画発祥の碑

◎デジタル化と映画屋
 アメリカの映画科学アカデミーは、映画の文化財的な扱いとしてデジタル化を推進しています。日本はデジタル化を国の施策として、商業的・経済的に世界的な主導権を取ることと、テレビ放送に重きを置いている。その象徴がテレビのデジタル放送化です。そこが日米の差です。許認可事業のテレビ放送と、独立独歩で映画を娯楽から芸術文化まで育ててきた映画会社。そのテレビ局が最近は映画を作って利益を上げている。気持ちは複雑ですが、手抜かりなくデジタル化を勧めながら、映画製作は娯楽も芸術も独立独歩でやる。それが映画屋の使命。映画の醍醐味もそこにあります。

角川大映スタジオ 担当部長さんのお話(2013.07.10)

映画屋魂にかけて 4

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◎調布に根付いた映画撮影所として
 2013年のお正月、角川大映としてBSジャパンでオン・エアした作品は、撮影所の隣の都立調布南高校チームの作品で、「映画の街 高校生フィルムコンテスト」優秀賞に輝きました。映像制作基地がうちと日活さんと2つあって、調布市民の作品で映画・映像を広めてもらう。映画撮影所があるという環境に慣れ親しんでいるところから映像作家が出てくる、というのは自然ですよね。また、調布映画祭2010のショートフィルムコンペティションで入選した内藤瑛亮さんは2014年公開の映画「パズル」で商業監督デビューを果たします。そういう人材育成もぜひ応援していきたいです。撮影所システムの良さを生かして、調布市民の皆様と一緒に映画を盛り立てていきたいですね。
 当撮影所でもエキストラを募集することもありますので、ぜひ一度ご参加ください。撮影所を身近に感じてもらえるのではないでしょうか?

角川大映スタジオ 担当部長さんのお話(2013.07.10)

調布・映画発祥の碑 由来

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2005年の取材情報

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角川大映スタジオ(2005年10月撮影)

 撮影所は京王相模原線・京王多摩川駅から徒歩2分のところにあります。取材時(2005年10月22日)には、撮影所の外壁一杯に上映中の「妖怪大戦争」の絵が描かれていました。その両端に大きな大魔神の像が建てられていました。
 現在の撮影所の約3800坪の敷地の中に4つの建物のスタジオがあり、その中の1つは2004年11月に焼失し、取材時には再建中でしたが2006年1月に完成しました。再建された建物には4つのスタジオが収容されており、この結果スタジオは合計7つになりました。
1つのスタジオは約200坪の広さがあり、天井は通常の3階建てくらいの高さがあり、柱はありません。この中にセットを組み立てて撮影に使用されます。
 この撮影所で製作された周防正行監督「Shall we ダンス?」(1996年)のボールルームのセットと最後の方の場面で、ヒロインを送別するダンス会場のセットもこのスタジオの中に作られたそうです。
 取材時には、スタジオの1つではTVのCM用のセットが製作中でした。また別のスタジオでは、TVドラマ「着信アリ」が撮影中でした。
 撮影所では約80人の方が働いており、管理や総務、営業グループの人の他、大道具(建物)や小道具(机や椅子など)を製作する美術グループの人が中心とのことでした。
 撮影所の中には、ガメラ倉庫と呼ばれるガメラの造形物や小道具が保管された倉庫があります。そこには、ガメラに破壊された東京タワーの模型もありました。また、妖怪大戦争で使用したゲゲゲの鬼太郎の妖怪の造形物や衣装も多数保管されていました。その他に小道具倉庫や大道具倉庫などもあります。小道具倉庫には、ラーメン屋の暖簾や看板、どんぶりなどの他、古い電気冷蔵庫などの電気製品も多数保管されています。
 撮影所内にはガメラや大魔神の造形物や戦国自衛隊の野外セットのミニチュアセットなどがあちこちに展示されています。また、センター棟は船をイメージしたデザインで、その窓には大映時代からの名作、羅生門や座頭市の他、セーラ服と機関銃、Shall we ダンス?などのスチル写真が飾られています。
 撮影所のレストランは外部にも開放されており、そこにもガメラの造形物が展示されていました。

基本情報

所在地 東京都調布市多摩川6-1-1
ホームページ http://kd-st.co.jp/
作成年月 2014年6月
更新年月 2017年3月
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