ちょっと不思議編

【注】=許可を得て敷地内に入るか、外から見てください。

1.<路上にお墓?>
2.<力試しの力石>【注】
3.<農地改革の恨みを刻む>
4.<ヘビ姫様の祠>
5.<お寺のキリシタン灯籠>
6.<砥石 第二の人生>
7.<サインは左官の誇り>
8.<東東調布って>
9.<駅を支えるレール柱>
10.<怖い砂利穴>
11.<幻の北浦駅>
12.<調布に着陸したシャトル>【注】
13.<石碑を呑み込む大樹>
14.<不思議な三つの丸石>
15.<不思議な土地・・・>
16.<父母が掘った児童を守る地下道>
17.<一本の木でも森>
18.<道路一直線>
19.<階段付き鎌倉わき道>
20.<大岡稲荷天>
21.<虚無僧のお墓>
22.<調布に、あの諏訪大社の御柱が>
23.<今も見られる船頭小屋>
24.<江戸の木製水道管>
25.<発音が難しい看板です>
26.<野川に桜を植えた調布人>
27.<南国の石敢当が調布に>
28.<保健所がなくなっても、名は残る>
29.<僕らの出番は、年に一度の花火大会>
30.<市内に二つの北村西望作品>
31.<集められた旧都電敷石の広場>
32.<土台跡は、かつての玉川亭>
33.<「下石原」って、何て読むの?>
34.<国領のパワースポット?>
35.<京王線を潜る深大寺用水溝跡>
36.<姿を消していく庚申塔>
37.<中野島渡し 二代目の松>
38.<ご婦人たちの憧れはジューキミシン>
39.<柴崎に銀杏畑発見>
40.<滝坂は「たきさか」それとも「たきざか」?>
41.<児童公園に水準点>
42.<桜屋敷の並木>
43.<石頭の石仏さん>
44.<コロで運ばれた蔵>
45.<移植された柿の禅寺丸>
46.<今も残る鎌倉脇道の並木>
47.<町長さんの一文字を入れた橋>
48.<コンクリート製のスピーカー>
49.<祇園寺の自由民権の位牌>【注】(見学は祇園寺に連絡の事)
50.<鉄で作られた童子(地蔵)像>【注】(見学は祇園寺に連絡の事)
51.<もう一つの多摩川原橋欄干>
52.<渡し場の目印は柳>
53.<旧レールの利用法>
54.<晒しを巻いた国領神輿>
55.<橋は消えても名を残す>
56.<ひっそり三味線の響き>
57.<大正寺の併合供養塔>
58.<ホーム屋根を突き抜ける桜>
59.<上石原のランドタワー「火の見櫓」>
60.<榎を伐るとタタリが?>
61.<幻の榮法寺>
62.<身を細める歩道橋の階段>
63.
<私は国道何号線?>
64.
<おかね橋には悲しい話しが…>
65.<滑走路を見下ろすふるさとの丘>NEW!
66.<割れてしまった砂岩の庚申塔>NEW!
67.<草木を愛する先人の心>NEW!

1.<路上にお墓?>

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 それは上石原1丁目の高速道路下に今もあります。
 どう見てもお墓なのです。以前は、塔婆までありました。正面には「道正塚」、裏に「昭和九年四月」の文字が刻まれています。何度か移転する中で現在の形になったそうです。路上に置かれた道生塚に、ドキッとした人も少なくないようです。
(参考資料)
★『東京珍景録』(新潮社)【蔵書検索】

2.<力試しの力石>【注】許可を得て敷地内に入るか、外から見てください。

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 若者たちが、祭りなどで力自慢を競う石を力石といいます。
 以前は調布でも虎狛神社など、幾つかの神社に置かれていました。
 現在、三十二貫目の文字のある力石が一つだけ、深大寺南町の民家で見る事ができます。今の若者は持上げられるのでしょうか。
(参考資料)
☆『東京の力石』(岩田書院) 【蔵書検索】
★『子どものための調布のむかしばなし』(調布市立図書館)【蔵書検索】

3.<農地改革の恨みを刻む>

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 1945年(昭和20年)12月に実施された農地法によって、田畑を取上げられた農民がいました。その一人が、墓地に恨みを込めて碑を建立しました。その碑には、取上げられた87もの地番が総て刻み込まれています。その場所は深大寺の三昧所墓地にあります。
(参考資料)
☆『調布市史 (下)』(調布市) 【蔵書検索】

4.<ヘビ姫様の祠>

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 若葉町2丁目のハケ下に弁天池がありました。現在は干上がっていますが、そこに小さな石祠があります。その祠にはとぐろを巻いた白蛇がヘビ姫様(弁才天様)として祭られています。周囲は薄暗く、この手の雰囲気のお好きな方には、お薦めスポットです。ただし、やぶ蚊にはご注意、ご注意。
(参考資料)
☆『調布こぼれ話2第3版(調布市郷土博物館)【蔵書検索】
★『調布市の石造物 1』(調布市郷土博物館)【蔵書検索】
▼『わたしたちの調布』(調布市教育委員会)【蔵書検索】

5.<お寺のキリシタン灯籠>

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 深大寺境内にある70cm程の燈籠です。確かに見方によっては十字架にも見えます。彫られているお地蔵さんの顔も、一味違った表情であります。
 しかし、誰がいつ、ここに置いたのかは不明です。本来、お坊さんと牧師は仲良しだったのでしょうか。
(参考資料)

★『調布こぼれ話2第3版』(調布市郷土博物館)【蔵書検索】
★ 『調布市の石造物 2』(調布市郷土博物館)【蔵書検索】
★ 『深大寺』(深大寺)【蔵書検索】
▼ 『深大寺学術総合調査報告書 2』(深大寺)【蔵書検索】

現在は見られません。

6.<砥石 第二の人生>

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 マルゲンは、1919年(大正8)国領町に工場を移転して来た会社です。それは当時、東洋一の鋸工場でした。
 鋸を研磨する砥石は佐賀県の伊万里から運ばれて来ます。その砥石は小さくなると、砥石の役目を終えて敷石として使われました。
(参考資料)
★『故塩澤源三郎氏片影』【蔵書検索】

7.<サインは左官の誇り>

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 東つつじヶ丘1-15の滝坂旧道近くに少し朽ちた蔵があります。その扉の裏には「稲田屋戸 福田屋 左官兼吉」の文字が彫られています。
 蔵造りで重要な役割を担った左官には、蔵に自分の名前を残せる名誉があったのです。
(参考資料)
☆『調布の蔵』(みんな新聞社)【蔵書検索】

8.<東東調布って>

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 1941年(昭和16)に完成した調布飛行場ですが、正面入口には対の門柱があります。材質は大谷石で、何ぜか「東東」調布飛行場?の文字が彫られています。「東東」とは不思議な話ですが、どうやら「東京」の「京」の文字に誰かがイタズラをしたらしいのです。犯人は誰ですか。
(参考資料)
★ 『調布飛行場にも掩体壕があった』(みんな新聞社)【蔵書検索】
★ 『フォトガイド 東京の戦争と平和を歩く』(平和文化)【蔵書検索】
★ 『戦争の記憶を武蔵野にたずねて』(ぶんしん出版)【蔵書検索】

9.<駅を支えるレール柱>

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 昔からリサイクルは行われていました。京王線の古レールも駅舎の柱などに利用されています。
 調布駅ホームの柱には、1950年代製の文字の入ったレールを見る事ができます。
 しかし、調布駅は近々中に建て替えられるので、全国のレールファンの方々、見るのでしたら今ですよ。
京王線では、あとつつじヶ丘駅ホームでも文字入りレールを見られます。
(参考資料)
★ 『多摩幻の鉄道 廃線跡を行く』(のんぶる舎)【蔵書検索】
現在は見られません。

10.<怖い砂利穴>

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 1923年(大正12)の関東大震災以後、建築資材として多摩川の砂利が掘られるようになりました。掘られた後の砂利穴は、子どもにとっては危険な穴でもありました。染地公園内の片隅には、その穴で亡くなった子どもを供養する碑がひっそりと建っています。今も花の絶える事がありません。
(参考資料)
☆ 『調布市道徳郷土資料集 3』(調布市教育委員会)【蔵書検索】
▼ 『図説 調布の歴史』(調布市)【蔵書検索】
▼ 『風雪』(荻本貞臣)【蔵書検索】

11.<幻の北浦駅>

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 京王線の仙川駅から調布駅間の線路は、1913年(大正2)の開通当時、甲州街道の反対側を走っていました。
 その後、交通量も増えたので1927年(昭和2)に現在の路線になりました。引越し前の「国領駅」は北浦駅といわれ、現在の国領駅の北西400m程先にありました。
(参考資料)
☆ 『京王帝都電鉄30年史』(京王電鉄)【蔵書検索】
☆『子どものための調布市の歴史』(調布市立図書館)【蔵書検索】
★『図説 調布の歴史』(調布市)【蔵書検索】
★『 調布市史 (下)』(調布市)【蔵書検索】
★ 『調布の文化財』(調布市) 第6号・第11号【蔵書検索】
▼ 『調布の近現代史料 1』(調布市)【蔵書検索】
▼ 『調布の古民家』(調布市郷土博物館)【蔵書検索】
▼ 『調布町沿革誌』(調布町)【蔵書検索】

12.<調布に着陸したシャトル>【注】外から見てください。

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 深大寺東町にある航空宇宙技術研究センター。
 柵越しにスペースシャトルが見えます。しかし、研究所さんの話しでは、これは超音速機の研究で作られた強度を計る機体で、偶然シャトルに似てしまったとの事。
(写真情報提供/内田徹氏)
現在は見られません。

13.<石碑を呑み込む大樹>

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撮影/2006年12月5日

 品川通りに面した下石原3丁目に、こんもりした樹木で囲まれた一角があります。
 人は、ここを太田塚と呼んでいます。
 この塚は、江戸城を築いた太田道灌の子孫の代々の墓地となっていると伝えられています。その敷地にある二基の「題目塔」が、今にも大樹に呑み込まれてしまいそうなのです。
(参考資料)
★『調布市史 (上)』P368/413(調布市)【蔵書検索】
★『調布市史 (民俗編)』P683(調布市)【蔵書検索】
★『調布こぼれ話 2』P32 (調布市)【蔵書検索】
▼『調布市の石造物 2』P97 (調布市)【蔵書検索】

現在は見られません。

14.<不思議な三つの丸石>

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撮影/2006年12月1日

 調布市西町にある旧関東村調布基地跡地グランド入口に置かれている不思議な三つの石です。3年前の11月に見てからいつも、首を傾げていました。
 旧飛行場の物では?と言われる方もいますがいつ頃から、何のために置かれているのかは、今もって定かではありません。
 明らかに人工的に作られた物で、直径150cmの真ん中に穴が開いています。
 ご存知の方の情報をお待ちしています。
(参考資料)
▼『ゼンリン住宅地図』P24【蔵書検索】
現在は見られません。

15.<不思議な土地…>

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撮影/2006年12月14日

 国領の京王線ガード横の一画です。四角くコンクリートと柵で囲まれている土地ですが、京王線の管轄地なのか、それとも個人の土地なのか…。実に不思議な場所でもあります。
 現在は、投棄ゴミのようですが、花でも植えれば、きっと散歩人の心を和ましてくれることでしょう。

現在は見られません。

16.<父母が掘った児童を守る地下道>

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撮影/2006年12月10日

 現在の調布第一小学校は、以前、調布駅南広場にありました。正門は線路に面しており、登校する児童の電車事故が心配でした。そこで、林建設の手を借りて、父母が線路下に地下道を掘ったのです。
 完成したのは、1929年(昭和4)9月でした。この年、多くの児童が感謝の作文を書いたそうです。これで親子・先生も一安心できました。
 今も、調布駅西側地下道として、市民が利用しています。
(参考資料)
☆『一小』 P18 (東京都調布市立第一小学校)【蔵書検索】
☆『新しい世紀へ』 P26 (東京都調布市立第一小学校)【蔵書検索】
★『調布市教育史』P167(調布市)【蔵書検索】
★『調布こぼれ話 1』P14(調布市)【蔵書検索】
2008年9月14日に封鎖され、現在はありません。

17.<一本の木でも森>

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撮影/2006年12月6日

 染地3丁目にある多摩川住宅、そのハ-14号棟横に1本の榎(えのき)があります。
 この土地はかって千町耕地といわれる広い畑でした。榎周辺は、「不動の森」として多くの木がありました。
 1966年(昭和41)に現在の多摩川住宅が造られる時に、森は消えましたが、この榎1本が今も残っています。
(参考資料)
☆『調布市史(民俗編)』P648(調布市)【蔵書検索】
▼『小林家資料解説』(調布市立図書館)【蔵書検索】
▼『跡 調布市消防団第七分団史』地図(第七分団)【蔵書検索】

18.<道路一直線>

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撮影/2007年6月3日

 深大寺東町にある三鷹道路に接する道路です。距離755.74メートルが何と、信号なしの一直線。天気の良い日には見晴らしも最高です。音の速度は1秒間に340メートル、この道路の端から橋まで「オ~イ」と呼んでも2.2秒かかる距離であります。
(情報提供=内田徹氏)
(参考資料)
▼『ゼンリン住宅地図 調布市 2007年版』 p.14/15【蔵書検索】

19.<階段付き鎌倉わき道>

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撮影/2007年10月28日

 甲州街道の新滝坂を横断する古道です。1923年(大正12)旧滝坂の南側に新滝坂が整備された時に街道を挟んで階段が付けられました。その後、甲州街道の交通量が増大したので、今は階段先はガードレールで交通止となっています。
(参考資料)
▼『調布市史 (民俗編)』p.286(調布市)【蔵書検索】
▼『調布の古道・坂道・水路・橋』p.18(222)/66/76(調布市)【蔵書検索】

20.<大岡稲荷天>

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 京王閣の片すみにある稲荷です。祭っているのが北町奉行の大岡越前さんなのです。その由来は江戸時代、大岡越前守の邸内にあった豊川稲荷の分祠からきています。1930(昭和5)春に井口家から京王閣に奉納されたとあります。競輪の不正に睨みをきかせるための稲荷さんなのでしょうか。
(参考資料)
☆『大岡稲荷』と『勝運招福競輪絵馬』について

21.<虚無僧のお墓>

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 大正寺墓地には、卵塔(卵塔)が7基あります。しかし。この卵塔は本来大正寺にあったものではありません。元々は上布田の安楽寺にあったものです。このお寺は虚無僧寺といわれた古寺ですが、現在はなく、なぜ大正寺に移されたのかは分らないそうです。
(参考資料)
☆『調布町沿革誌』(調布町)P20【蔵書検索】
★『調布こぼれ話(1)』(調布市)P28【蔵書検索】
▽『調布市史 中 』P440/454【蔵書検索】
▽『調布市史 下 』P19【蔵書検索】

22.<調布に、あの諏訪大社の御柱が>

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撮影/2009年4月4日

 7年に一度、急斜面を人を乗せたまま転げ下りる信州諏訪大社の御柱祭。その御柱の一部が、調布仙川町にある長善館前に立っています。
 長善館の歴史は古く、江戸時代から上京した信州の若者を宿舎等援助する館です。御柱は、長善館の中にある諏訪神社の分社に奉納されたものだとか…。
(参考資料)
★『わが青春の長善館 新長善館物語』P.43【蔵書検索】

23.<今も見られる船頭小屋>

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撮影/2009年9月16日

 かつては、多摩川に幾つもの渡し場(渡船場)がありました。京王線相模原線脇に菅の渡しがあり、船頭小屋に船頭さんが待機していました。これは調布から多摩川を挟んだ川崎側にあった小屋です。
 今は、日本民家園に移築保存されています。
(参考資料)
☆『日本民家園収蔵品目3』表紙・P.6~7、16~17、24~30
★『多摩川の渡し』P.60~82【蔵書検索】
▼『郷土館だより』No.48
▼『多摩のあゆみ』No.28 P.53~58【蔵書検索】
▼『調布市史 民俗編』P.291~292【蔵書検索】

24.<江戸の木製水道管>

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撮影/2009年4月4日

 若葉町一丁目の明西寺、元は築地にあったお寺です。1923年(大正12)の関東大震災で被害を受け1929年(昭和4)2月仙川に他の七寺と一緒に移転して来ました。その時、境内にあった江戸時代の水道管を持ってきたそうです。材質は松の木、現在は頭にトタンの帽子を被って、本堂横にあります。
(参考資料)
▼『寺史』【蔵書検索】

25.<発音が難しい看板です>

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撮影/2009年2月15日

 国領町三丁目の公園に貼られている看板です。さてさて「静かにっ!!」って、どのように発音するのでしょうか。どなたか出来る方は…。

26.<野川に桜を植えた調布人>

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撮影/2009年4月7日

 今や、野川の夜桜は有名になり、ライトアップされた年一度の日を楽しみにしている人も多いと思います。野川の桜を植えたのは誰なのか…、それは1968年(昭和43)に「桜を植える会」(約10名)が結成され自費で植えた調布人なのです。その内の一人が、写真右の三ッ木平八(79)さんです。
(参考資料)
★『調布の桜』P.4~13【蔵書検索】

27.<南国の石敢当が調布に>

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撮影/2009年2月28日

 東つつじヶ丘三丁目の三叉路にある「石敢当」(せきがんとう)を見つけました。この碑は中国から伝わったもので、沖縄・鹿児島など南国に多く分布しています。行き止まりや三叉路等に魔除けとして建てられました。調布では、現在この一基(高さ約1m)のみ。家の方の話しでは、5年前に家を建て替えた時、庭師さんから勧められて建てたそうです。因みに庭師さんは南の方だそうです。

28.<保健所がなくなっても、名は残る>

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撮影/2009年10月9日

 布田五丁目46番地にあった狛江調布保健所は、2004年に閉所しました。それから6年経った現在も、その前の道に「保健所通り」の道路標識が出ています。正確には「元保健所通り」ですよね。

29.<僕らの出番は、年に一度の花火大会>

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撮影/2009年9月18日

 多摩川原の一角に集められている白い椅子とテーブルの山。出番は年に一度の花火大会です。それから静かに次回の出番を待ちます。雨にも負けず、風にも負けず、夏の暑さにも…です。

30.<市内に二つの北村西望作品>

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撮影/2009年12月6日

 西望といえば、突き上げた右手で原爆を、水平の左手で平和を表現した長崎の平和祈願像が有名です。彼の問題作品と言われる「将軍の孫」(複製)が甲州街道沿いの永祥第2ビル入口(写真左)と神代植物公園グリーンギャラリーの池(同右)にあります。調布に2つもです。この永祥第2ビルの作品はオーナーのお気に入りでビル入口に置いたものです。
(参考資料)
▼『東京都井の頭自然文化園 北村西望展示品目録』P.33,53【蔵書検索】
▼『北村西望百寿の譜』図版、P.196,197,345【蔵書検索】

31.<集められた旧都電敷石の広場>

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撮影/2009年11月9日

 2000年(平成12)に建造された「石の広場」があります。京王閣のすぐ隣です。かっての都電の敷石を敷き詰めた広場なのです。石は一見同じ御影石に見えますが、韓国本土、済州島産のものから、日本各地のものまで集められています。中には、戦火・空襲に耐えた敷石もあるとか。一見の価値ある静かな広

32.<土台跡は、かつての玉川亭>

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撮影/2009年11月9日

 石の広場の一角にある屋敷跡、今はその面影もありませんが、大正時代に多摩川べりにあった料亭「玉川亭」であります。調布人の川遊びや鮎料理の憩いの場であったのでしょう。
(参考資料)
▼『大正期鉄道史資料(第2集 第11巻)』口絵【蔵書検索】
▼『案内図にみる 多摩陵・高尾と八王子』P.19【蔵書検索】

33.<「下石原」って、何て読むの?>

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撮影/2011年5月11日

 甲州街道にある「下石原」の標識。「simoishihara」と「simoishiwara」の二通りあります。どちらが正しいのでしょうか。その答えは調布の歴史にあります。江戸時代には甲州街道沿いに国領・下布田・上布田・小島分・下石原・上石原の布田五宿といわれる宿場がありました。その石原は「いしわら」と読みます。現在ある石原小学校も「いしわら しょうがっこう」なのです。
(参考資料)
▼『近世調布の村むら』P.33【蔵書検索】

現在ローマ字は訂正済み。

34.<国領のパワースポット?>

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撮影/2010年11月14日

 国領駅北口にある昇福稲荷さん。昔の講の日にはお酒も入り、気性が荒い商人同士で喧嘩沙汰が多いと伝えられています。国領駅再開発でも、商店会を護る稲荷さんの本殿と大銀杏が残されました。お参りすると、昔の商人気性からパワーが貰えるかも知れませんよ。
(参考資料)
▽『お稲荷さんと信仰』

35.<京王線を潜る深大寺用水溝跡>

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撮影/2009年9月3日

 1875年(明治8)富沢松之助が玉川上水から深大寺に用水路を引いた深大寺用水は調布では歴史に残る用水であろう。余った用水は最終的に野川に放水されていました。用水の支流といえる日が東堀側溝がつつじヶ駅と柴崎駅の間の京王線を潜っていた痕跡を今も見る事ができます。
(参考資料)
☆『調布こぼれ話』P.10【蔵書検索】
☆『調布史談会誌』23号 P.12【蔵書検索】

36.<姿を消していく庚申塔>

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撮影/2010年12月11日

 佐須町五丁目にある庚申塔です。あれ?と思われる方も多い事でしょう。中央の主尊像そして下部の三匹の猿像がほとんど消えかかっています。厚さも薄くなっています。実はこの庚申塔、砂岩に彫られた珍しいもので、風化によって次第に痩せ細り今の姿になったようです。身を削って街を護っていたのかも知れません。
(参考資料)
☆『路傍の石仏』P.23【蔵書検索】

37.<中野島渡し 二代目の松>

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撮影/2011年6月7日

 染地二丁目のレオ保育園、その前のひなた駐車場にある松の木です。以前はここまで多摩川が入り込んでおり、ここが中野島への船渡場でした。昔は布田駅から歩いて来て多摩川渡った場所なのです。渡し船(舟)を結んでいたのがここの松の木でした。伝承によると今の松は二代目松だそうです。船渡場は多摩川の流れによって場所も変るのです。
(参考資料)
☆『多摩川の渡し』P.93【蔵書検索】

38.<ご婦人たちの憧れはジューキミシン>

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撮影/2011年7月19日 JUKI本社

 「日本でくじ付き年賀状が発売されたのは昭和24年です。
 その翌々年からの特賞が東京ジューキ(株)のAI型ミシンでした。
 ミシンは当時のご婦人達の憧れであり、そのミシンが調布で製造されていた事は、ちょっと嬉しい話しですよね。
 特賞の座は5年間も続きました。因みにこのミシンは、現在もJUKI本社で元気に動いています。
(参考資料)
★『東京重機三十年史』P.137~138
★『東京珍景録』(新潮社)
★『グローバルJUKI』P.113,116,117

39.<柴崎に銀杏畑発見>

この紹介文の画像
撮影/2013年1月12日

 茶碗蒸しには欠かせない銀杏。その畑を見たことがありますか。
 調布市内の柴崎一丁目に35本のイチョウを植えた銀杏畑があります。
 12年前から田中さんが管理して、秋にはバケツ200杯程の収穫があるそうです。
 ちょっと珍しい畑です。

40.<滝坂は「たきさか」それとも「たきざか」?>

この紹介文の画像
撮影/2012年9月10日

 甲州街道のつつじヶ丘から仙川に向かう旧道が滝坂です。
 古くからの急坂で、1873年(明治6)1月にふもと近くに滝坂小学校が開校されました。
 呼び方は「たきざか しょうがっこう」です。これが答えなのです。
 しかし今も、甲州街道 滝坂下の標識には「takisakasita(たきさかした)」と
「takizakasita(たきざかした)の2種類が掲げられています。
(参考資料)
★『ゼンリン住宅地図2012・11』P.49
▼『調布市教育史』P.623

41.<児童公園に水準点>

この紹介文の画像

 国領町一丁目25番地にある「上ヶ給第二児童公園」に、四角いコンクリートに囲まれた丸い一等水準点があります。
 霞ヶ関ビル横の日本水準点から主要街道沿いに沿って2kmごとに設けられたものです。調布市内の甲州街道沿いにはまだあるはずです。
 散歩がてらに探してみませんか。

42.<桜屋敷の並木>

この紹介文の画像
(写真/2011年6月5日撮影)

 街の古老が口にする「花屋敷」といわれる地域があります。現在の国領町5丁目55番地、通称赤稲荷の北側です。
この地はかって名主の大きな屋敷があり、周辺には桜の木が植えられていたところから花屋敷といわれたそうです。
 しかし、現在の桜並木は貸家を建てた時に植えられた桜です。


43.<石頭の石仏さん>

この紹介文の画像
(写真/2013年2月22日撮影)

 東つつじヶ丘3丁目54番地の堂内に祀られた石仏です。右手に杖を持ち、左手で子どもを抱えているように見えます。
頭部はなく、楕円形の石に置き換えられています。廃仏運動時に壊されたのか、いたずらで無くなったのかは不明です。
台座に宝暦3年とありますから、今から260年程前に建立されたようです。どんなお顔をしていたのかを想像すると楽しくなってきます。
<参考資料>
★『調布市の石造物(1) 路傍の石仏』P.26

44.<コロで運ばれた蔵>

この紹介文の画像
(写真/2013年7月3日撮影

 深大寺東町5丁目にある大谷石で造られた蔵です。1940年(昭和15)帝都防空のために「神代大緑地帯」が建設された時、敷地内の農家は外に強制移転させられました。
粕谷家では、蔵をコロに乗せ2日間かけて現在の場所に移動してきました。
 現在の蔵はその後補修されていますが、調布では珍しい大谷石造りで、その姿に圧倒されそうです。
<参考資料>
★『調布の蔵』P.72

45.<移植された柿の禅寺丸>

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(写真/2013年6月23日撮影)

 深大寺東町1丁目の鈴木宅にある柿の禅寺丸。神代大緑地帯建設時に立ち退きになった農家から移植したもので、鈴木さんの話しでは、当時はまだ小さな木でしたが、今は実もなる樹になりました。
 樹の中頃の枝がなく、黒くなっているのは、近年の火事で焼けた痕、でも現在も元気に空に向かって葉を広げています。

46.<今も残る鎌倉脇道の並木>

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(写真提供/三宅栄治氏)

 鎌倉幕府を支えた関東の武士は、鎌倉街道といわれる道によって鎌倉に通じていました。その街道に合流する脇道が市内には何本もあります。
 その一本が三鷹から調布を通って府中の上道に通じる脇道です。その一部が消防大学(深大寺東町4丁目)敷地内にあり、当時を思わせる鎌倉脇道の並木が残されています。
 この並木は決して鎌倉時代のものではなく、太さからして近代の明治~昭和に植えられた並木と思われます。しかし、この道を坂東武者が通ったと思うとロマンを感じます。
<参考資料> 
★『調布の古道・坂道・水路・橋』P.21~30
☆『調布市史(上巻)』P.334、473、

47.<町長さんの一文字を入れた橋>

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(写真/2012年4月15日撮影)

 その橋の名前は「多摩川原橋」です。
多摩川を挟んで調布町と稲城村を結ぶ橋で、1935年(昭和10)11月22日に開通した橋でもあります。「多摩川橋」と、するところを開通に尽力した12代目の原雄一調布町長の「原」一文字を加えて「多摩川原橋」と命名しました。
 現在の橋は二代目ですが、初代の橋の欄干が石の広場(多摩川4丁目)で見ることができます。
<参考資料>
★『多摩川原橋と調布稲毛』
☆『図説 調布の歴史』P.198、199、
☆『子どものための調布市の歴史』P.42~P.45
▼『調布町沿革誌』口絵

48.<コンクリート製のスピーカー>

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(写真/2013年3月23日撮影)

国立大学法人 電気通信大学の構内あるコンクリート製の不思議な物体です。一体これは何でしょうか?
実は、これはスピーカーの一部分なのです。残念ながら、どういった経緯でここにあるのか誰も分かりません。
通常、スピーカーは大きければ低音の再生に最適であると言われています。一体、どんな音になるのか聞いてみたいものです。
なお、このスピーカーの近くにUECコミュニケーションミュージアムがあり、昔の無線通信機器や真空管を始め、スピーカーも展示されていますので、ぜひ足を運んでみてください。

49.<祇園寺の自由民権の位牌>【注】(見学は祇園寺に連絡の事)

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撮影/2013年10月18日

 佐須の祇園寺本堂に安置されている位牌です。第9代目住職の中西悟玄が1908年(明治41)以前に旧自由党員を弔うために作ったものです。
 位牌は自由民権運動で亡くなった「加波山事件 福島事件英霊碑」と書かれています。もう一基の位牌には、197名の名前が刻まれており、その中に田中正造の名前もあります。
(参考資料)
★『定本 野鳥記』8 P.271~279
▼『伝記 野鳥とともに生きる』P.11~
▽『行政史料に見る 調布の近代』P.298

50.<祇園寺の自由民権の位牌>【注】(見学は祇園寺に連絡の事)

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撮影/2013年10月22日

 祇園寺にある珍しい鉄鋳造の童子像です。いつ、誰が納めたのかは不明ですが、製造は鎌倉時代といわれています。手を前で合わせ、優しい眼差しと小さな口元は、
見る者を和ましてくれます。
(参考資料)
★『寺社の彫刻』(調布市教育委員会 1993)p.34,35
▼『図説 調布の歴史』(調布市市史編集委員会 2000)p.94,95

51.<もう一つの多摩川原橋欄干>

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撮影/2013年10月22日

 1935年(昭和10)に完成した多摩川原橋ですが、老朽化のために2006年(平成18年)に立て替えられました。その時、旧橋の欄干は調布の「石の広場」(多摩川4丁目)に置かれましたが、もう片方が対岸の稲城市の矢野口に保存されていました。こちらには欄干だけでなく石の手すりも保存されています。

52.<渡し場の目印は柳>

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撮影/2013年10月22日

 かって多摩川には幾つもの渡しがありました。時が流れ川には橋が架かり渡しは姿を消していきました。
 暫らくたって、京王相模原線鉄橋下流にあった「菅の渡し」が京王閣開催日に復活しました。開催日には、人は川崎市側からも渡しで来たそうです。その理由は川崎側の駐車料金が安いためだったようです。その後、河岸工事で川底が上がったために渡し船が使えなくなったので中止したのでした。調布側の渡し舟が着く目安にされたのがこの柳の樹だったのです。


53.<旧レールの利用法>

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写真/2014年5月25日撮影

 国領⇔調布間の京王線が地下化したのが2012年8月19日の事です。地上の軌道跡はレールが取り除かれ、空き地のように続いています。
その柵に使われたのが旧レールでした。布田駅から調布駅に向かっての柵のレールには古くは1900年の製造刻印も読み取れます。

 ☆『多摩 幻の鉄道廃線跡を歩く』(のんぶる舎)

54.<晒しを巻いた国領神輿>

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写真/2014年10月12日撮影

 国領の神輿は、神輿の中でも珍しい存在なのです。頭部に神輿の象徴である鳳凰がない事から、喧嘩神輿だと分かります。
それに神輿が担がれる時には胴と飾紐に晒しが撒かれているのです。
 更に音の出る鈴と?(たるき)に下がる風鐸(ふうたく)、飾紐にも晒しが巻かれます。神輿に二人が座り込み、和鏡のすり鉦(がね)を打って担ぎ手の調子をとるのです。
晒しを巻くのは、神輿同士がぶつかりにあった時に破損を防ぐためと、すり鉦の音のみで調子が取りやすいからのようです。
  <参考資料>
☆『調布市史(民俗編)』P.513
★『調布と私』P.13,14
▼『江戸神輿』P.111

55.<橋は消えても名を残す>

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写真/2012年6月19日撮影

 深大寺東町2丁目にある諏訪神社。庚申塔の横に小さな石柱があります。そこには「すわまへはし」と彫られています。古い地図を見るとその前の道が川であった事がわかります。
そこに掛けられていた「すわはし」の一部が、郷土博物館敷地にあります。川は埋め立てられて今は見られませんが、先人が「ここに川があり、橋があったのです」と私たちに伝えるための
石柱だったのでしょう。
▼『全住宅案内地図帳(調布市)』P.105右下
▽調布市立郷土博物館に」橋の一部

56.<ひっそり三味線の響き>

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 入間町2丁目にある、通称弁財天池。そこに「弦と桜の塚」と刻まれた碑があります。
側面に「昭和九年九月 杵屋彌七建之」と彫られています。彌七は三味線の師匠で近くで三味線を教えていた人物でした。
近所では三味線学校と呼ばれていましたが、後に学童疎開の受入れ施設にもなりました。
▼『青南国民学校の神代村疎開』P.38~40
▼『資料から見た学童疎開(Ⅰ)』P.123

57.<大正寺の併合供養塔>

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(写真/2015年1月12日撮影)

 大正寺は大正4年4月に不動院、栄法寺、宝性寺が併合して生まれた新しいお寺です。廃寺となる宝性寺を偲んで信徒さんが建てたのが、この供養塔なのです。
碑には「宝性寺信各盡供養塔 大正三年四月廿日樹之」と刻まれています。きっと悲しかったのでしょう。
   <参考資料>
  ★『寺院案内』P.56

58.<ホーム屋根を突き抜ける桜>

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(写真/2015年2月11日撮影)

 京王線の柴崎駅上りホームには二本の桜の樹があります。言伝えでは付近の住民が植えたと云われた桜です。駅が拡張する中で、ホーム内に残されて大きくなったようです。
  柴崎駅に帰宅する人達の気持ちを優しくホットさせて来ました。でも、今伐採の話しが進んでいるのです。今年の桜は見られるのでしょうか…。
 





59.<上石原のランドタワー「火の見櫓」>

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写真/2015年5月9日撮影

 上石原にある消防団第2分団の火の見櫓は、戦時中に金属供出で姿を消しました。敗戦後、以前建設した板橋の鉄工所に図面が残っていて、その図面で1957年(昭和32)に再建されました。
 現在の塔は、2005年(平成17)に消防団詰所が新しくしましたが、屋上には、かつての塔の一部が保存されています。今や上石原町のラウンドタワーです。
 <参考資料>
 ☆『調布市消防団50周年記念誌』P.25

60.<榎を伐るとタタリが?>

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写真/2015年5月23日撮影

調布南高校近くにある交差路のド真中に榎があります。以前は根元に祠がありました。通称、榎観音(観世音菩薩像)が祭られていましたが、道路拡張のために祠は多摩川べりに移築されました。
 残った榎を伐採しようとすると、けが人が出て、誰ともなく「榎観音のタタリ」と囁かれ、工事は中止となりました。現在も榎の大樹がそびえています。クワバラ・クワバラ…。
 <参考資料>
☆『調布こぼれ話②』P.20
▼『路傍の石仏』P.

61.<幻の榮法寺>

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写真/2015年9月4日撮影

 かつて、調布市域に宝性寺、不動院、榮法寺のお寺がありました。しかし、お寺の維持が困難のため1915年(大正4)に大正寺に併合されました。
 現在の布多天神社横にある大正寺の墓地が、旧榮法寺である事が古地図から分かりました。この門はその名残でしょうか? 
 因みに併合された大正寺は、大正時代に建てられたところから大正寺と命名されました。失礼ながら、そのままの命名ですよね。
 <参考資料>
 ▽『近世の上布田村』P.7.9
 

62.<身を細める歩道橋の階段>

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写真/2016年4月13日撮影

歩道橋は一時、交通戦争から子どもを守るために造られたものです。調布には現在、20橋ばかりあります。
 国領神社前にある歩道橋は、国道20号線を跨ぐようにありますが、歩道の関係でしょうか、階段の幅が途中から半分になっています。
 下から見ると歩道橋が身を細めているようです。
 <参考資料>
☆『ゼンリン住宅地図 調布2015.11』P.56

63.<私は国道何号線?>

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写真/2016年7月3日撮影

 調布市を貫くように通っているのが国道20号線です。交通量は多く、旧甲州街道のバイパスとして造られたお馴染みの国道20号線です。
 国領駅近くの歩道橋の看板は、何故かルート20の「20」の番号がないのです。付け忘れなのか、それとも「あなたの走っている国道は何号?」と、質問しているのでしょうか。不思議な看板です。
 
<参考資料>
☆『ゼンリン住宅地図 調布2015.11』P.57

64.<おかね橋には悲しい話しが…>

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写真/2016年7月3日撮影

野川に架かる「おかね橋」の名前は、お金をかけて造られた事から来ている訳ではありません。
実は人の名前の「おかねさん」から付けられた橋なのです。人の話しでは、このおかねさんが、この橋から野川に身投げした事から橋の名前にしたそうです。
 あくまでも伝説ですが、橋を渡る時には手を合わせてしまいます。現在の橋は1968年(昭和43)3月にコンクリート製で建て替えられたものです。
<参考書籍>
 ★『調布市史 民俗編』P.654
★『調布の古道・坂道・水路・橋』P.92

65.<滑走路を見下ろす ふるさとの丘>

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写真/2017年2月8日撮影

調布飛行場の西側にある小さな丘です。2000年(平成12)4月1日に「遠いふるさとに想いをはせる」を趣旨に建造されたそうです。丘にそって全国47都道府県産の石材が並べられています。何故か説明板は一切ありません。

<参考資料>
▼パンフレット「都立武蔵野の森公園」

66.<割れてしまった砂岩の庚申塔>

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写真/2017年2月8日撮影

佐須町5丁目の神代中学校近くにある庚申塔です。以前に珍しく砂岩で作られている庚申塔なので「姿を消していく庚申塔」(ちょっと不思議編)として紹介しました。前を通る時に、心配はしていたのですが、現在は、その薄さに堪えかねて二つに割れてしまいました。それでも石仏さんは、折れずにみんなの幸せを願って頑張っているの事でしょうか。

<参考資料>
★『路傍の石仏』P.23

67.<草木を愛する先人の心>

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 仙川にある昌翁寺の門前に「世を愛し 人を愛し 草木を愛す」と刻まれている石碑があります。また,深大寺境内の深沙大王堂前の草木供養塔には「潤於人華 各得成實」と刻まれています。法華経薬草喩品第五の経文の中にある草木供養の教えとのことです。
 草木や動物にも同じ命が宿り,そのいのちをいただいて生かされてきたことに感謝と供養の念を刻んだ先人の生き方に学ぶことが大いにあります。このような碑は世界に類がないといいます。

基本情報

TEL 調布市立中央図書館 地域情報化担当
042-441-6181